中高年・シニア・サラリーマン、これからをどう生きるか
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大変な時代をのりこえれば、「自分の時代」がやってきます。
そのためには、「会社」をこえ、「仕事」をこえ、「自立」する自分を確立することが、中高年サラリーマン(OBも含んで)に求められるというのが、当サイトの趣旨です。
これまでのサラリーマンの人生は、直線的なものでした。
「学習 → 仕事 → 定年 → 老後」というエスカレーターコースが順調なものとされ、学習は就職のためであり、老後はほんのつけ足しであり、「ビジネスライフ」が人生の中心でした。
そして、サラリーマンの生きがいとは、会社における昇進、業務目標達成の充足感といった生臭く緊張感を伴うものであり、同時にそれは会社等の束縛を伴うものではあったが、それを追求することで一生涯安泰の生活を送れると信じ、ただひたすら働き続けてきました。
ところが、この会社に忠実に勤めてさえおれば一生安定した生活を送れるという、気楽なサラリーマン時代は、55年体制と日本的経営の崩壊と共に終わりを告げた。
終身雇用は保証されず、制度は残ったとしても、それは形ばかりのものとなる。
特に、会社に長く勤めただけで会社にぶら下がるだけの存在となっているホワイトカラー管理職層などは会社にとって不要の存在のなりつつある。
中高年サラリーマンが、この大変な時代を生き抜き、ビジネスライフを全うするためには、時代の変革に対応した自己革新が緊急課題でしょう。
会社の中にあっても、外に出ても自立できる能力と行動力の再開発である。
ビジネスライフでは、まだまだ厳しい生き方が求められる。
一方、これまでの会社中心ビジネス中心時代には、ほんのつけたしともみえた「老後」がこれからの人生80年時代には重要な意味を持つライフステージとなる。
人生80年生きられるということは、現在40歳の人は40年を、50歳の人は30年を、60歳の人は20年をさらに生きるということである。
しかも、現代の高齢者の多くは、時間にゆとりを持つだけでなく、健康であり経済的にも不自由していない。
会社からも解放された高齢者には、自分の夢であった仕事(ワーク)、レジャー、文化・趣味活動、社会活動など多彩な生き方が可能になる。
こうした生活は、これまでの老後という暗いイメージとは全く異なるものである。
そこで、当サイトではこれからの高齢者のことを、「シニア」と呼ぶことにしている。
シニアライフとは、仕事(労働)をこえ、様々な生活上の束縛から解放され、次第に、あるいはある時を契機として、自分で自分の生き方を選択できる時代である。
いいかえると、シニアライフとは自分で自分の生き方を選択し創造する、それぞれの人にとっての「自分の時代」であるといえよう。
次に、この人生80年という豊富な時間を持つシニアの時代には、「仕事 → 定年 →老後」という直線型の生き方は否定されることになる。
そして、ビジネスライフと余暇ライフが融合化するなど、人それぞれの価値感に基づいた多様なものとなる。
例えば、
- ・余暇活動と仕事が一体化する、あるいは、循環的に展開する「循環型(ホロニック型)シニアライフ」
- ・定年や会社退職を機会に全く新しい生活に挑戦する「機会開発型シニアライフ」
- ・早くから天職を発見しそれ一筋に人生を貫く「天職一直線型シニアライフ」
など、その人なりの様々な生き方がこれからはみられるようになる。
ただし、従来のサラリーマンに多くみられた「定年=老後=引退」という「定年断絶直線型」といった生き方は少数派となろう。
引退するには、あまりにも多くの活躍できる時間がこれからのシニアには残されている。
新たなるシニアライフの開拓が望まれる。
シニア時代になってから、あるいはシニアの年代になったからこそ、自らが求めていた人生へと再スタートし、生きがいのあるシニアライフを切り開いた多くの事例はいくつもある。
京セラ前会長稲盛和男氏は、65歳の誕生日を契機に、ビジネスの世界から退き、禅の道に入った。
その理由を次のように述べておられる。
「私自身の哲学の完成と、人様の役に立つことをする自由な時間が欲しい」。
つまり、充実したビジネスライフに続いて、自らの生きがいを探求する第二の人生、シニアライフへの新しい出発の宣言である。
これからの時代は、間違いなく成熟化する経済、高齢化する社会、深刻化する環境汚染、そして情報と余暇重視の時代となる。
現在の中高年サラリーマンとそのOB(高度成長時代のビジネス戦士達)に求められるのは、変革する時代に対応する思い切った自己革新と、どのような環境にも「自立」できる自分の確立である。
即ち、ビジネスライフにおいては、会社をこえて仕事で「自立」できる自分を確立すること。
シニアライフにおいては、仕事(労働)等の束縛から自分を解放し「自律」性のある生き方の確立である。つまり、会社人間でもある現在の中高年サラリーマンの方々に対して、「会社を超える」、「仕事(労働)を超える」という、二つの脱皮を求めたいのである。
それができれば、悲劇的ともみえる大変な時代をのりこえて、それぞれの人にとっての「自分の時代」が実現されるはずである。
履歴書に自分のやった仕事が書けるか
中高年には会社への帰属心が強かった。
「社宝」と呼ばれるまでには至らなくとも、なにかの形での会社からの認知を欲しがった傾向がある。
企業もまた、その心理を利用した。
業務改善活動や効率追求運動が大成功を収め、日本企業の競争力アップに結びついたのは、単に企業が求めただけではない。
裏には、そうした活動の推進が、サラリーマン管理職の切ない帰属心を満足させた事情もあるのではないか。
会社に貢献しているという気持ちが会社人間をますます会社へと傾斜させていったし、組織大事の管理職が必要ともされた。
ここで、あなたに一つ質問をしたい。
あなたは、履歴書に自分のやってきた仕事が書けるだろうか。
大企業のサラリーマンであればあるほど、おそらく黙り込んでしまうはずだ。
人材銀行には40代、50代のホワイトカラー管理職の登録が急増し、その数は、バブル時代の3割以上にも上っている。
そうしたサラリーマンに「あなたはなにをしましたか」と聞くと、
「係長、課長を経験しました。海外勤務もしました。地方勤務もしました」と一様に口にするということである。
このようなことは、しょせん履歴の一部分でしかない。
「自分はなにをしたのか」と尋ねることは、自分の仕事や個性、つまり差異を問うことである。
人と同じことをやった部分ではない。
いまいる会社というアイデンティティを離れても、頼れる自分があるかということだ。
スぺシャリティの問題である。
仮に、会社を辞めるというとき、会社が揺れるような差異の持ち主であれば言うことはない。
「自分はこういう仕事をやり遂げました」と語れる人は、それを武器にどこででも活躍できる。
自分のなかに、自分の発展性を持っている人である。
転職の場合は、それが顕著に出る。
あなたが採用担当者であれば、「私は○○会社の部長でした」というだけのこれといった能力もない人、経験した仕事もまったく同じという規格化されたサラリーマンに、だれが高いお金を出すだろうか。
頭を下げてまでもらい受けるだろうか。
いままでの日本企業では、どちらかといえば、記憶力のいい、暗記力のいい秀才型、官僚型の管理職が強みを発揮していた。
それは、アメリカといういいお手本があったからであり、その模範を間違いなく理解できる能力に意味があったからだ。
アメリカの10年後が日本と言われたように、技術にしても、ノウハウにしても、アメリカの軌跡をたどり、改良を加えればよかった。
課長にしても、部長にしても、それほど創造的なタイプは必要なかった。
そこでは「自分にはなにができるか」と問うことは、必要なかった。
あまり異質なもの、創造的なものを持ちこもうとすると、かえって嫉妬社会の反感を買い、「あいつまたスタンドプレーをしようとしている」とか「またまた向こうウケを狙って」などと非難されたものである。
極端に言えば、仕事はあまりできないが、ニコボン型とか、人情型とか、あるいはウマニンジン型管理職が幅を利かせていた。
変化の予感から、感性が重要、創造性が必要とは叫ばれていたが、これまでは目標達成型、任務遂行型の下士官タイプで十分に成果を挙げ得た。
またそうした人間が昇進していったことも事実である。
部下の能力を伸ばし、巧みに長所を引き出し、次代の人材・事業を育成することが管理職の重要な仕事であるのに、目先の仕事をうまく終わらせるためのテクニックが大事であると勘違いされていた。
しかし、仕事のできないニコポン型はもういらない。
「キミ、頼むよ」とにっこり笑って部下の肩をポンと叩こうとしても、ドライな新人類から「別の仕事がありますので」と、軽くいなされてしまうのがおちだろう。
人情型の値打ちも下落している。
とくに、プライバシーに干渉されるのを嫌う若い世代は、人情型上司を避けようとする。
職場進出目覚ましい女性社員の肩をポンと叩けばセクハラ騒ぎを引き起こしかねないし、また一杯飲み屋での強引なノミニケーションは不倫と間違えられる。
いまどきわびし気に一杯飲み屋でのノミニケーションをやっているのは、価値観の激変に戸惑う中高年と価値観の喪失に身を焦がしている団塊の世代だけである。
若い人はさっさと自分たちだけの仲間で飲み会を開いたり、アスレチッククラブで汗を流している。
ウマニンジン型上司も、若い人からはもうほとんど相手にされていない。
ライバルなどいらない、マイペースで会社人生を送りたいと言う世代だから、「ライバルに負けるな、頑張れ」は通用しないし、「頑張らなければ昇進できないぞ」と脅そうにも、もうポストレス時代だということをはっきりと知っているから、そんなニンジンは本気にはしない。
せいぜいが「アナクロなおっさん」というぐらいで終わってしまう。
仕事は自分で発想し、自分で判断するしかない時代である。
自力航海の時代に入っている。
そうした乾いた実力主義の時代には、ニコポン型とか、人情型とか、あるいはウマニンジン型管理職のいる場所はどんどん少なくなり、そのうち居場所がなくなるだろう。
いまや、トップだけにかぎらず、どういう仕事を自分がやり、そして部下にやらせるか、どういう方向へ部下を走らせていくかという戦略眼、判断力が管理職には必要とされている。
管理職とはミニ経営者である。
それが、管理職に要求される実力主義の「実力」の中身である。
履歴書に書くべき内容とは、そうしたものでなければならない。
カテゴリー:中高年の転職成功の秘訣
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