アピールカも能力のうちである
好機は自分で作り出すものだ
能力主義時代は、「能ある鷹は爪を隠す」ではいけない。
自分の能力を磨くだけではなく、それを一方でうまくアピールすることも大事になる。
「能力のプレゼンテーション」が下手な人間は、なかなか好機に恵まれないだろう。
「見る人は見ている」とよく言うが、それを信じて頑張っていたら定年になってしまった、という笑えないような本当の話はいくらでもある。
イギリスのモラリストであるS・スマイルズは、『自助論』のなかで言っている。
「もし好機が到来しなかったら、自ら好機を作り出せ」
機会がないと嘆いていても成功はおぼつかない。
積極性がないと、自分の思いはなにも実現できない。
能力とは、最終的には自分の人生を創り出すもろもろの営為すべてを指す力である。
アピールカもその一つだ。
地位ポストでもそうだ。
従来のように、大過なく日々をまっとうさえしていれば、「あいつもそろそろ相応の年齢になったから……」とポストや昇進の機会が与えられる時代ではない。
若者を「指示待ち族」と言うのなら、いままでの旧人類は「地位ポスト待ち族」であり、「上司退職・上司昇進心待ち族」であった。
たいした仕事や実績がなくても、それでもトコロテン式に昇進していくことができた。
ほどほどの遠慮も必要だし、慎みもそれなりに評価できるが、つかむべきときはしっかりと自分でつかむ。
これがサラリーマンの気概というものだろう。
ましてやポストレス時代ともなれば、つかもうとする意欲を見せないかぎり、地位、ポストはめぐってこない。
上司の異動、退職などによってポストが天下り式に降ってくる時代は彼方にすぎ去った。
新しい事業に踏み出すときの社内募集などにも、真っ先に手を挙げたほうがいい。
分社などへの希望出向も、自分から進んでいったほうがいい。
それがピンチかチャンスか、やってみなければなかなかわからないものである。
ますます、業界、業際の垣根がなくなる。
リード産業、リード企業も不明確になっていく。
なにが幸いするかわからない時代である。
住み慣れた世界が居心地もいいし、安心感もあるだろうが、新しい世界に賭けてみるというのもまた悪いものではない。
指名されていくより士気は高いし、それなりに納得する部分もある。
なによりも、自分なりの問題意識が明確になる。
新規事業で指揮を執る場合も、分社で経営に携わる場合も、経営の技能面や人を使う面を同時に総合的に勉強できる。
そうした気象に富んだ人が、本当のエリートである。
「いかなる職業でも、自分が支配するかぎり愉快であり、服従するかぎり不愉快である。
電車の運転手はバスの運転手ほど幸福ではない」
フランスの思想家アランは、こう言っている。
完全にコントロールされ、決められたレールの上しか走れない仕事より、自分でコントロールしている仕事のほうがやり甲斐がある。
寄らば大樹の陰で、いつも安全策ばかり取ろうとする人は、本人に運が回ってきても、たいていは自分からその道を逃がしてしまうものである。
年功序列に可能なかぎりぶら下がっていたい過保護の擬似エリートは、未知の新たな挑戦には必ず尻込みする。
それが大きなジャンビング・ボードに化けることに気がつかない。
自らチャレンジに応じる人、あるいは自分を積極的にアピールできる人は、仕事に自信のある人だろう。
そうした人が身につけるべき能力は政治力であり、人間関係の怖さを知ることである。
サラリーマンは組織あってのサラリーマンである。
いくら能力があり、知恵があっても、一人でできることはたかが知れている。
大きな仕事になればなるほど組織が必要になり、他人の助けがなければ仕事は進捗しない。
注意すべきことは、サラリーマン社会は嫉妬社会であるということだ。
他人との相対的な比較で自分というものがある程度決まってくるから、そこにはどうしても嫉妬がつきまとう。
高い能力、高い評価に対しては、嫉妬も深くなる。
能力のある社員、知恵のある社員は、たしかに企業は大事にするだろう。
だからと言って、安閑としていてはいけない。
弾は前からしか飛んでこないと決め込んではいけない。
うしろから弾が飛んでくることもある。
思わぬことで足をすくわれることもある。
能力のあるサラリーマン、知恵のあるサラリーマンは、嫉妬社会の視線の圧力でつぶれてしまわずに、しぶとくしたたかに生き残って欲しいと思う。
そこには政治力も必要になってくるということだ。
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