サラリーマンには「ムダ」と「遊び」が必要
「経済大国」と言い、永遠の繁栄を極めるかとも思われた日本は、巨額の貿易黒字を計上し続けてきたが、それを支えたサラリーマンには豊かさを実感として味わう暇さえなかった。
ベネチアは400年、オランダも100年の繁栄を享受し、文化的にも多くのものを残したが、さて日本のうたかたの経済繁栄はなにを残したのだろうか。
「生活大国五ヶ年計画」というものがあったが、あのビジョンはどこへいってしまったのだろう。
「豊かさとはなにか」「豊かな生活とはなにか」と、一時期さまざまに論議された豊かさの正体すら垣間見ることなく、暗い時代に突入してしまった。
家のローンと子供の教育費でキリキリ舞いし、さらに、失業の危機すら身近に迫り始めている。
その家ですら、ウサギ小屋と椰輸されるような代物でしかない。
会社のために、家庭のためにと日々戦ってきたサラリーマンは、それ以外に生き甲斐はない。
だがここには、サラリーマンの危険なナルシズムが潜んでいる。
生き甲斐を会社から与えてもらうとか、嫁さんと子供から与えてもらうとかいった気持ちの裏には、自分を犠牲にしていたというナルシズムがある。
「会社のためにオレはここまでやってきた」
「子供や妻の幸福のために、自分を犠牲にして頑張ってきた」
という自己犠牲、自己正当化の考えはあっても、「自分のために」という発想はなかった。
ところが、会社からはもうそうした忠誠心は不必要と言われ、家庭では「亭主元気で留守がいい」と言われて、もう行き場がなくなっているのが会社人間だ。
退職後にいたっては、粗大ゴミ、産業廃棄物などというまことに失礼な言い方まで一般的になっている。
少々残酷な言い方になるかもしれないが、会社にしても家庭にしても、実は犠牲にしたなどとは思っていないのである。
会社というものは、利益追求が本来の目的である。
そのために忠誠心を鼓舞することはあっても、過剰適応したサラリーマンの生涯責任まで負うものではない。
家庭でもそうだ。
家庭サービスもせず、「会社、会社」を繰り返す亭主にどれほどの価値を認めているか。
「今度は私が好きなことをさせていただきます」と、女房のほうから通告される定年離婚が激増していることを見ても、それは明らかではないか。
工業化時代を支えた終身雇用と年功序列の大きな特徴は、自分に対する投資がまずほとんどと言っていいほど必要ないことである。
そのなかで、サラリーマンは、自分に対してあまり投資をせずにやってこられた。
それですんだ、それでも偉くなれた。
ヨコ並び意識、ご同輩意識を大事にし、みんなで手をつないで同じことをやっているのがいちばんよかったし、それで十分でもあった。
自腹を切って社外ネットワークを広げる努力より、会社のなかで自分を引き上げてくれるキーマンに擦り寄り、人脈を作るほうが得策であった。
上を向いて適当にヨイショをやり、早く部課長になって交際費が使えるようになれば、同じ志向の人間が周囲に集まってもきた。
しかし、ソフト化、サービス化時代の本格的到来を迎え、そうしたサラリーマンの処世が通用しなくなってしまった。
もともと日本人は、明治以来の日本的教育システムによってモノづくりに向くように育てられてきたため、ハード的価値を生み出すことには非常に強い。
○×式の二者択一テストに洗脳され、あらかじめ正解に至る道が決まっている問題には強味を発揮してきた。
たとえて言えば、算数には強いが、正解への道がいくつもあり、発想力が要求される数学には弱い。
ムダとか、ゆとりとか、遊びの分野が非常に弱いため、発想や創造性を基礎にしたソフト的価値の創造には弱い。
これからのサラリーマンに大事なことは、時代の価値観や技術の変化に対する知的想像力であり、感性である。
そうしたものへの投資である。
マーケティングにしても、営業にしても、企画開発にしても、その思想ややり方や戦術が変わったとき、古い成功者ほどたいてい無能ぶりを発揮する。
同じ戦略や戦術が、10年も20年も通用するはずがないのに、一度味わった成功体験に固執し墓穴を据ってしまう。
これからの企業は、新しいことに直面し、新しいことを、新しいやり方でやっていかねばならない。
効率が極度に追求され尽くした分野には、もう大きな期待を賭ける果実はない。
いままであまり目を向けていなかったところにこそ、次代のニーズを見つける必要がある。
それが企業生き残りの策である。
効率のよすぎる会社はかえって脆いという逆説はそこにある。
明日への挑戦部分があるからこそ、企業は新しい未来に向けて成長していける。
ムダな部分を排除して、なんでも効率、効率でやってきたツケが酸欠社会を招き、失業者の増加におびえる状況を作ってしまった。
サラリーマンの場合でも、同じことだ。
企業で「ムダが活性化の源」であるのと同様、個人では「遊びは真面目の活性化」である。
真面目の上に真面目を重ねていったら、その人は、勤勉な怠惰になる。
サラリーマンには、自分の業務に関する専門能力ももちろん大事だが、むしろよけいなことをどれだけ知っているか、ムダなことをどれだけ知っているかということが要求される。
その余力がこれから本当に企業に必要とされる能力なのである。
そのためにはもっと自分に投資しなければならない。
自分のためにムダをやっていないとダメなのである。
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