自分だけのプライドを持っているか
会社に忠誠心を持ちすぎる社員にかぎって、いざ肩叩きされたり、左遷されたり、子会社への出向を命じられたりすると、「なぜオレだけが」「これだけ会社のために尽くしてきたのに」と会社を恨んだり、反感を持つ傾向が強い。
そういう悲劇を未然に防ぐために、会社本位の古い忠誠心から新しい忠誠心へどんどん比重を移行させていくべきである。
新しい忠誠心とは、まずなによりも、会社へではなく自分の仕事への忠誠心である。
しなやかな忠誠心と言ってもいい。
そのためにいちばん大事なことは、自己に忠誠心があるかどうかである。
自分の人生に忠実な人間であるかどうかである。
というのは、人生に対して誠実な人間が、会社でやはりいい仕事をするからだ。
自分の人生への洞察なくして、表面的にだけいい仕事をするなどということはまずあり得ない。
ワンパターンのサラリーマンの処世術、昔ながらのサラリーマン処世術はもう破綻をきたしている。
これまでのパターン化されたサラリーマン術は通用しない。
自分のプロフェッショナルな部分は、会社に庇護されなくてもなんとかやっていけないとならない。
多少そういうものがないと、会社から見放されたらもうどうしていいかわからないという状態になってしまう。
好むと好まざるとにかかわらず、サラリーマンは、これから自分の生き方をどうするか、どういうスタンスをとるべきかということが問われる。
「会社に尽くす」ということより、「自分にとっていいこととはなにか、そしてそれが会社にとってもいいことであるためにはどうすべきか」ということが問われる。
「あなたはどういう存在か」ということよりも、「あなたはなにができるか」「あなたはなにをやろうとしているのか」という可能性のレベル、本当の生き甲斐が問われるということである。
そのためには、どこかに自分だけのプライドを持つことが大事である。
プライドというものは、生き甲斐を考えるうえで、非常に大事なものである。
私は、お金儲けや、いわゆる出世主義を一概に否定しない。
それは、地位、ポストとかお金を儲けることは、プライドとしていちばん簡単に満足しやすいことだからである。
サラリーマンは誰にでもなれるものである。
一番なりにくい職業が政治家であると見ている子供が多いというデータを目にしたことがある。
誰にでもなれるサラリーマンであれば、なおのこと、自己啓発したり、努力したり、なにか目標を持つことが大事である。
それでなければ、ただいたずらに歳月に流されて人生の終着点を迎えたときに、「オレの人生はいったいなんだったのだ」ということにもなりかねない。
出世願望を悪のように言う人には、自分の能力のなさを他人に転嫁して「人を見る目がない」とかボヤき、自分からはなにもしようとしない人に案外多いものだ。
また、出世願望というものが企業のバイタリティになっている面もある。
伸びている企業には、社長になりたい人材がいくらでもいる。
係長、課長、部長、重役になって自分の能力を発揮したい人がたくさんいる企業は伸びるが、その反対の企業は成長が止まっている。
そこそこで満足しているサラリーマン会社の典型のようなところは、まずバイタリティがない。
バイタリティがない会社はどうやっても伸びようがない。
これだけ競争が激しい時代になると、終身雇用とか年功序列どころか、企業の存立自体がまず問題になる。
出世主義の話が長くなるが、言いたいのは、出世レースのマイナス面ばかりを見るなということである。
出世でもなんでもいい。
とにかくなにか目標を持って進んでいくことによって、いろいろと覚え、したたかな人間に鍛えられていくということである。
サラリーマンというのは、自分の目標を立て、自分の信念を持ち、ともかく人と一緒に会社というムラ社会のなかで懸命に仕事をするが、どこかに自分は自分だ、自分流のやり方でなにかを実現したいというものがなければならない。
仮にそれが出世レースであれば、それに邁進しても一向に構わない。
それが好きなサラリーマンはそういったことに走ってもいいと思っている。
もっとも出世のためには政治力、危険をつかむ嗅覚、危険を避ける才覚、処世、適度なゴマスリなどのいろいろなものが大事だが、ただしこうしたものはしょせん手段だという自覚を持つことが大事である。
政治力、ゴマスリといったものはなかなか魅力的だし、うっかりすると目的になってしまいやすい。
それが目的になってしまったら、会社から「もういらないよ」と言われたら、それで御用ずみになってしまう。
いまの社内でしか通用しないものをいくら誇っても、外の世界ではまったく通用しない。
だからそうしたものを目的化してはいけないし、地位、ポストを得ることも目的化してはいけない。
出世のために出世するのではなく、自分の能力を伸ばしていく、自分の夢を実現するための手段だと考えねばならない。
そこのところを誤ると、燃え尽き症候群にかかってしまう。
しかし、それができないサラリーマン、あるいはそういうものではとてもプライドが満たせないサラリーマンは、自分なりの誇りを見つけるべきである。
幸い、現在のような豊かな時代ともなれば、サラリーマンのプライドを満足させる選択肢はいくらでも生まれてきている。
仕事でいえば、スペシャリストで生きるとか、会社よりも自分の仕事や仲間、家庭を大事にするとか、趣味の世界を大事にするとか、二足も三足もわらじを履くとかいろいろなやり方がある。
これからのサラリーマンに必要なことは、TQC的思考の穀を脱ぎ、自分という個性をどう出していくかである。
言ってみれば、オンリー・クリエイティブニブイフをどう作っていくかということだ。
とは言っても、中高年サラリーマンの心の奥底には、TQC神話が静かに潜んでいる。
中高年はTQC思考のなかで呼吸し、それなりの成果が得られたからである。
会社を離れた生き甲斐を持とうと言うと、TQC手法を用いて生き甲斐探しを始めてしまう人もいる。
40代、50代ともなれば、独り歩きできる訓練をしないといけない。
全員で集団登山するのではなく、独歩行で登山ができる訓練をしないといけない時期である。
それがわかっていても、生身のサラリーマンはなかなかできない。
しかし人生80年時代ともなれば、まだまだあと何十年と現役でいる。
サラリーマン退役後の時間のことも考え、ここでもう一度、勉強をやり直しても遅くはない。
もちろん会社を代わるのも結構だ。
ただ、どこへいっても通用する人間になって欲しい。
その意味で、言い古された言葉だが、企業は人づくりの道場である。
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