巧妙な戦いが出来るサラリーマンになろう
弾に当たったことのないサラリーマンなど、私は信用しない。
仕事をしていないか、上辺だけの要領ですり抜けてきた人間に違いない。
弾にいっぱい当たって怪我してきた人のほうがしぶといし、本当の実力がある。
鉄砲の弾に当たったり、絶対に逃げないことによってしか身につかないことが、サラリーマンには無数にある。
これは一見すると損なように見えるが、将来、必ずお釣りがくるものである。
弾に当たれば、たしかに精神的に辛いし、怪我もするが、チャレンジしなければ人は伸びない。
たとえ、結果が失敗に終わっても、一歩踏み出してこそ能力は初めて大きく伸びるものである。
それにしても、サラリーマン社会には実に多種多様なサラリーマンがいるの 社内での出世というワンパターンの上昇志向に燃える者もいれば、仕事は人並みで十分、趣味や遊びの世界に深い満足感を覚えるサラリーマンもいる。
本来の仕事はそれほどではないが、社内人事の情報や個人の噂の収集には卓抜な才能を見せるサラリーマンもいる。
また、昇格の望みが絶たれたらさっさと転職してしまう人がいれば、降格や左遷などに遭遇しても、しぶとく生き抜くのがサラリーマンある、と考える経済戦士もいる。
コンプレックスだけがバネになっているような人間もいるし、偽悪家ぶって斜に構えることで存在を示そうとする者もいる。
あるいは、周囲の声などなんのその、小気味がいいほどゴマスリに徹し、上からの覚えめでたく引き上げられていくサラリーマンもいる。
多くの人は、ゴマスリに批判的だが、私などは、本人がきちんと自覚さえしていれば、それはそれでサラリーマンのしたたかな生き方の一つとして認めるべきではないかと思う。
明治日本最大の政治家・大久保利道は、藩主・島津久光に取り入るために囲碁を習った。
会社観にしても十人十色である。
仕事を通じての自己実現の場と考えるサラリーマンもいれば、労働の対価としての賃金を得る場にすぎないと見るサラリーマンもいる。
あるいは、サラリーマンになるのが普通の選択だから勤めただけという者もいる。
サラリーマンにとって、失敗は怖いものである。
だから、弾に当たることを恐れもするし、できることなら危ないことには近づきたくないという気持ちもわかる。
しかし、冒頭でも言ったように、弾に当たったことのないサラリーマンには、本当の実力がつかない。
失敗しても命までは取られない。
失敗したら、この借りはいつかお返しいたしますぐらいの気概が欲しい。
失敗したらそこから学べばいい。
イギリスの評論家であり歴史家であるT・カーライルも言っている。
「失敗の最たるものは、なにひとつそれを自覚しないことである」
厳しいサバイバル時代だからこそ、そして自己防衛、自己保身ばかり考えていないからこそ、こうした痛い目にも遭うのだと思うぐらいの図太い神経が欲しい。
減点主義で絶えず上の目をうかがい、チマチマ生き抜いてきたサラリーマンなどどこに魅力があるのか。
外の世界で、いったい誰が買うというのだろうか。
企業の人事システムのなかで、最悪のものは減点主義だと私は思う。
減点主義人事というのは、結局のところ、なにもやらなかった人間が押し出されて先頭を走るようになる。
減点主義とは、企業の最前線に出ることもなく、鉄砲の弾にも当たらず、いつも人のうしろに身を潜めた人間が最も効率よく出世できるシステムである。
自分から進んで仕事をすれば、やはり鉄砲の弾も飛んでくるし、怪我もする。
だからなにもしないのがいちばん得だということになる。
これでは会社に活力が生まれないし、伸びもしない。
なによりもサラリーマン自身が伸びない。
伸びようとする芽を自ら摘んでしまうのだから無理もない。
そういうシステムにうまく対応したサラリーマン処世の達人は、小さなところでは得をするかもしれないが、やはり大きなところでは損をする。
自分の勤めている会社というある限られた範囲、サラリーマン人生というある限られた時間では多少人よりいい目を見ることもあるが、会社を離れたところで、その人にはいったいなにが残っているのか。
最近でこそ、こうした減点主義人事の弊害に気づいた企業もかなり増えているが、それに代わり得る決定的な人事システムはまだ構築されていないと言える。
新しい人事評価システムの一つに、キリンビールが始めた「失敗加点」というものがある。
たとえ失敗であれ、挑戦として評価できるものであればプラス評価を与えるシステムである。
自分の立てた目標の実現度の自己評価と上司の評価、さらに挑戦内容に応じて点数がプラスされて総合評価となる。
大きな目標を掲げて努力する、失敗を恐れない挑戦的風土を創ろうという狙いである。
新しい試みとして、大いに注目しておきたい制度である。
しかし、なんでも突撃せよ、一匹オオカミになれと言っているのではない。
鉄砲の弾に真っ先に当たるべLと言っているのではない。
鉄砲の弾に真っ先に当たっていくことばかり考えているサラリーマンは、どこか抜けている。
これは犬死である。
やはり組織のなかに生きるサラリーマンなのだから、そこは巧妙自在な戦いをして欲しいと思う。
私がサラリーマンの処世術を一方的に軽蔑しないのは、そこにある。
ピンチをどう逃げるか、危ない仕事に近寄らないためにはどうすればいいか、そういうテクニックを覚えることも大事である。
たとえば、この場面は逃げたほうがいい、あるいはかわさないと間違いなく討死することが明らかな場合、あえて自分で墓碑銘を刻むことはない。
そんな場合まで、銃弾の雨のなかを突進していくことは愚の骨頂だ。
逃げも実力のうちである。
歴戦の勇士やすぐれた武将は、かならず徹退戦が上手である。
それでも、減点主義人間より一匹オオカミのほうがまだましだと言える。
いつも自己防衛のことばかりを考え、一歩も踏み出そうとしない人間より人間的だからだ。
そして、なによりも後ろ向きでないところが買える。
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