団塊の世代は、いまこそ真剣に悩むときがきた
考えてみれば、明治維新の原動力は、長州とか薩摩とか土佐藩を脱藩した若い下級武士たちであった。
彼らが、藩の壁を超え、一つの志のもとに自由に情報を交換し合い、連携し合った。
その結果が、体制の大転換につながった。
また、戦後復興を成し遂げ、驚異的な日本の経済発展をもたらしたのは、当時、二流、三流とされた人たちである。
言ってみれば、戦前の経営から取り残された当時の傍流である。
戦後の財閥解体と公職追放で戦時中の経営者は職を追われ、こうした若手に取って代わった。
この改革は進駐軍がやったが、経営者の年齢は約10歳若返ったと言われている。
団塊の世代は、幕末の志士、あるいは戦後の経営者の役割を果たさなければならない。
団塊の世代への期待は多少色擬せ色あせてきてはいるが、企業のなかを見渡せば、改革の中核となれる世代は団塊の世代だけである。
団塊の世代は状況のイノベーターとなる覚悟を持つ必要があるだろう。
いま、団塊の世代から上の世代が雇用調整のターゲットになっている。
本来、高度成長期に、それいけどんどんの経営者や上級管理職に、それはおかしいとブレーキをかけるのが団塊の世代あたりの管理職であった。
上と下のサンドイッチになって、ことなかれ主義で糊塗してきた責任は決して小さなものではない。
酷な言い方をすれば、いま団塊の世代が置かれている厳しい状況とは、そのときのツケが回ってきた結果とも言える。
団塊の世代は、もっとしっかりと外部の人脈を張り、自分の腕を磨き、なおかつ新人類に対して、しっかりとリーダーシップを発揮していくことを考えるべきである。
そうしないと部下はついてこないし、自分の人生もない。
人生二毛作時代に早く対処しておかないと、団塊の世代は間に合わなくなってしまう。
いまなら、まだ辛うじてだが間に合う。
たしかに、「出る杭は打たれる」という時代もあったが、「出ない杭は腐る」「出すぎた杭は打たれない」ということわざもある。
ここは思い切って、頭を出すべきではないだろうか。
声をもう少し大きくして、発言の機会を増やしてもいいのではないか。
団塊の世代の多くがいま就いているポジションは、業務の第一線である。
若い人の創造性を汲み上げ、新しい地平を拓く戦略的ミドルに変身する絶好の機会である。
実力主義に不安そうな顔など見せず、自分の隠れた個性や能力を発揮するいいチャンスがきたと前向きに受け止めるべきだろう。
よく言われるように、サラリーマンは大きなところで妥協して、小さなところで妥協しないものだ。
小さなところとは、自分に近いところである。
だから、部全体の売上げよりも、自分の課と隣の課の売上げの違いのほうが気になる。
自分の成績と隣のライバルとの成績の違いが気になる。
上司の出世レースはたいして気にはならないが、同僚との出世レースは気になる。
同僚と自分との差異を認めたくないからである。
団塊の世代は、小さなところでは妥協しても、大きなところでは妥協しない姿勢を持って欲しい。
新人類の力も借りて、幕末の志士のように、もっと世代交替の動きを早めるような揺さぶりをかけてはどうなのか。
会社のなかで、団塊の世代はもっとも大きな潜在的エネルギーを持っている。
なにしろ、数が多いし、子供のときから競争にも採まれている。
その競争を生き抜いてきたのだから、少しはハートにスタミナもあるだろう。
団塊の世代は、全共闘の闘士であれ、ノンポリであれ、本来的には中高年より新人類に近いメンタリティを持っているはずだ。
そもそも、社会に登場したとき、団塊の世代は、いまの新人類以上に「アンチ中高年世代」と言われたものではないか。
−新人類は、察しの文化は否定するが、コミュニケーションをきちんととればそれには応えてくれる。
中高年が身を屈して彼らにすり寄ろうとするより、はるかに有利な立場にある。
団塊の世代は、たしかに辛い。
だが、ものは考えようだ。
いま置かれている状況を克服できれば、団塊の世代の前方にはもう中高年のヒエラルキーは存在しない。
邪魔はできない。
というのは、そこでは実力だけがものをいう世界になっているのだから、会社のなかの多数を占めていたただの会社大事、一社一心の中高年の存在は軽いものになっている。
堂々と自分を主張し、のびやかな競争をすればいい。
サラリーマンの腕前を伸ばすのは、なによりも人より抜きん出たいという向上心、努力心である。
企業のなかの自己実現というのは、好むと好まざるとにかかわらずそうしたものである。
欲望は、ある種の人を盲目にし、ある種の人を明るくする
フランスの茂言家ラ=ロシュフーコーは言っている。
欲望には必ず、否定的な側面と肯定的な側面がある。
否定的な面だけを見て、出世レースにまったく興味がないサラリーマンにはダメなところがある。
団塊の世代には、どこかに上昇志向をばかにするところがある。
出世レースには内面でシラケたところがあって、出世競争やそうしたものに血道を上げる人間をばかにするところがある。
出世だけにこだわるのもたいした人間ではないが、団塊の世代は、出世レースの肯定的な側面も認めて、一度出世にこだわってみたほうがいいかもしれない。
それが、変革への第一歩になるかもしれない。
そのためにも、いま会社のなかでなにをすべきか、自分のためになにをすべきかが非常に大事になる。
団塊の世代は、いまこそ真剣に悩むときがきた。
まだ、燃え尽きるほどの仕事はしていない。
自分を見つめる視線をもう少し強くせよ。
流されてはいけない。
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