定期的に自分と会社のレポートを書く
サラリーマンの能力で大事なのは、やはり業務遂行能力である。
仕事ができなければ話にならない。
ただ、サバイバルな時代には、必ずしもそれだけでは十分ではないということを知っておくべきである。
サバイバルな時代を生き抜くために必要な条件。
あえてその条件を一つだけ挙げるとすれば、それは一種の「しぶとさ」 であろう。
サバイバル競争が厳しくなればなるほど、サラリーマンを取り巻く環境はそれに比例して厳しくなっていく。
そこで、これからのサラリーマンは、タデとヨコの戦いを、したたかに、かつしぶとくやっていく必要がある。
社内では自分をアピールしてしこしこ出世レースもやるが、一方で社外の人脈も増やしていく。
このまま会社のなかで突き進んでいったほうがいいのか、あるいは勝負の土俵を外に求めてヨコで勝負したはうがいいのか、そこでもう一度チャレンジしたはうがいいのか、そのように考える時代である。
そのために私は、20歳後半から30歳、35歳、40歳、45歳と、5年単位ぐらいで自分の能力と知識、体験のチェックをやり、同時に会社のチェックもやることをお勧めしたい。
いわば、年ごとに自分と会社のレポートを書いてみる、5年ごとの自分の卒論と言っていいかもしれない。
チェックをやると言っても、なにも転職を前提にする必要はない。
ただいつでも転職できるだけの準備は整えておいたほうが安心だし、準備ができていれば不測の事態に出会っても余裕が持てる。
その態勢のチェックが5年おきに続くと考えればいい。
そのチェックによって、自分に足りない部分、もっと磨いたほうがいい部分が見えてくる。
また、会社が抱えている問題点や将来性、自分がやるべき仕事なども見えてくる。
つまり、したたかさへの武器が見えてくると同時に、したたかさの発揮どころが見えてもくる。
どうアピールするのが効果的かもわかる。
しぶとく生き残るという点で言えば、肩叩きなどから幸いに逃れられたとしても、これからのホワイトカラーには、忙しい人と暇な人の二極化が直線的に進む。
年功序列が崩れるのだから、能力のある人はそれなりの地位、ポストに昇進してますます忙しくなり、実力のない人はますます暇になる。
同じ地位、ポストにある人間の間にも、そうした二極化は進む。
たとえば同じ課長、部長であっても、仕事を開拓する能力、仕事を創造できる能力に優れた課長、部長は忙しくなるということである。
ということは、いままでのヨコ並びの賃金体系はどうしても崩れざるを得ない。
「人はパンのみにて生きるにあらず」とはいうものの、サラリーマンにとって賃金は大きなインセンティブである。
会社はそのことをよく知っているから、ヨコ並びの賃金体系を崩すことによって仕事の多寡に報おうとするだろう。
また地位、ポストがかぎられてくるから、賃金でしか報いる方策もなくなってくる。
日経新聞の記事によると、MIT(マサチューセッツ工科大学)経営大学院のレスター・サロー学長は、今後、労働者の賃金の二極化を次のように予測している。
「これまでの10年間でアメリカで起きたようなことが日本でも起きる。
グローバル・エコノミーのなかでは、いったん、技能の優劣を基準とした賃金の調整が始まると、その国の平均賃金水準とは無関係に、賃金は国際的に等しくなろうとする傾向がある。
世界の労働市場において、技能で中国の上から半分の労働者が日本の下から半分の労働者よりも優れたとしたら、経営者はどうしてわざわざ中国よりも技能の低い日本の労働者に、より高い賃金を支払おうとするだろうか」(1994年1月10月付)
能力主義の時代には、技能が賃金を決定する大きな要素になる。
ホワイトカラーにも国境がなくなり、優秀な人間はそれに見合った篤い待遇を受けるということである。
ボーダーレス時代の企業とはそうしたものである。
仕事が二極化すれば、賃金格差をつけられたり、賃金ダウンに見舞われる事態が当然起こる。
そうした事態を受容できるサラリーマンは、おおらかに暇を楽しめばいい。
仮に出世しなくても、やはり人並みの所得が欲しいというサラリーマンは、外でアルバイトをして埋めていけばいい。
本来の仕事をタテとすれば、ヨコの仕事を持つということになる。
会社は、社内の知識しかない人間、24時間会社人間の限界にはもう気づいている。
会社がはっきりと賃金格差をつけるようになれば、会社はアルバイトやセカンドジョブを認めざるを得なくなる。
いままで会社がアルバイトやセカンドジョブを認めなかったのは、平均的労働、平均賃金が原則としてあったからである。
それは、規模の利益を求める大工業時代の原理原則のようなものであった。
しかし、賃金格差が本格化する時代には、会社には、高い賃金を払うサラリーマンの時間を拘束する権利はあるが、忙しくない、そしてあまり高い賃金を払っていないサラリーマンは同等には扱えない。
そうしたサラリーマンの時間を拘束する権利はそれほど大きくないからだ。
本来の仕事以外で報酬を得るシステムは、イギリスではジェントルマン・スカラー、アメリカではウイークエンド。
クリエイティブ・ジョブ、ムーンライト・ジョブなど、さまざまな形態がある。
そうした形が実力主義の補完装置として登場するにはそれなりの理由があるし、日本でも常態化していくだろう。
賃金格差の代償に、余分の時間が獲得できる。
余った時間は、やはり個人の権利である。
忙しくない人は、このように前向きにとらえ、それをどう使えばいいかを考えればいい。-----
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