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生き甲斐の多様化が遊びの第一の効果
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シニアライフは自己発揮のステージ
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シニアライフの領域を拡げる自己啓発
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余暇社会参加の近道、シニアのボランティア活動
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「余暇」で拡げるシニアの生きがい
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仕事に生きるシニア世代はたくさんいる
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シニアの仕事(ワーク)はどこにあるか、どう取り組むか
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シニアライフの新しい生活スタイル
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シニアライフは自己実現のステージ
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生きがいをどう見つけるか
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中高年会社人間二つの悲劇
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これからをどう生きるか、中高年サラリーマン
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シニアのゆとりのある経済生活
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中長期的には期待される中高年労働力
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高齢化社会は、元気シニアの時代でもある
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活力あるシニア時代の始まり
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「仕事」中心からの脱皮
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中高年サラリーマンの能力開発
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日本の人事制度は今後どう変わるか?
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国際化の時代…、雇用の仕組み、賃金の仕組みが大きく変わった
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「日本的経営」の栄光はいっとき
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大変な時代、中高年サラリーマンに悲劇が訪れた
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「余分な社員」はカットしたい会社の本音
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中高年サラリーマンのこれからの生き方
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生き甲斐の多様化が遊びの第一の効果
中高年を含め、われわれは、人生五十年時代のライフスタイルは持っていても、定年後あと10年、20年の仕事と生き甲斐を自分で見つけ出さねばならない人生80年時代のライフスタイルを確立しているとは言えない。
いまそうしたライフスタイルの確立が、早急な課題として大きく浮上している。
二毛作目、あるいは第二ラウンドを生き抜くためには、40代から大いに充電しないといけない。
定年でヘトヘトになって、産業廃棄物のようになってしまえば、あとは自分をバーゲンセールするしかない。
待っているのは、「滞れ落葉」しかない。
要は、生き甲斐をどう多様化させるかということである。
その近道として、遊びを考えたい。
新人類は遊びが上手だし、遊び感覚、遊び心も十分に持っている。
中高年も、ほどほどの遊び人間になりたいものだ。
遊びが充電の近道だ。
遊びもしないで、人と同じことをしてこと足れりとする勤勉な怠惰タイプは伸びない。
古い会社人間ほどこうした勤勉な怠惰タイプが多いが、そうした人間は新しいものを吸収しないし、古いものも捨てていかない。
情報にもまた疎い。
この種のタイプの社員が大いに役立ったのは、変化のない時代である。
同じことを10年も20年もやり、それで帳尻を合わせてベテランになっていく時代にはいちばん強かった。
しかし、今日のような変化の激しい時代には、このタイプが会社にはマイナスになる。
自分にも不利になる。
これからのサラリーマンには遊びが必要である。
趣味や遊びの効果は、まず生き甲斐の多様化につながるということである。
会社人間という言葉がいみじくも物語るように、会社一途のサラリーマンは、仕事も遊びも会社の仲間と一緒であることで安心感を感じる。
みんなが一緒であることでしばしの安堵感を得るが、会社を離れてしまうとたいした生き甲斐を持っていない。
人はいやなこと、自分に都合の悪いことは先へ積み残し、後回しで抱え込んでいきたいものである。
先憂後楽ということは頭でわかっていても、なかなか実行できないものである。
しかし、だんだんそうも言っていられなくなる。
いよいよ切実切迫になって、心の防衛術や、生き甲斐だけは自分で見つける以外に道はないことに、サラリーマンが気づき始めてきた。
たしかに、なにかと言えば中高年の排除を考えたり、団塊の世代を過剰なサバイバル競争でおどしあげる安易な企業姿勢にも問題がないとは言えない。
だが、サラリーマンも、「自分はわき目もふらずに頑張り続けてきたし、努力もしてきたのだから、会社のほうも……」という甘えの心、おんぶにだっこの依頼心は、もうこの辺で、勇気を出して断ち切るべきだろう。
会社がサラリーマンの生き甲斐をすべて保障してくれるというのは、高度成長期の一種の幸運な共同幻想にすぎないと諦めてしまうことだ。
実際のところ、日本的経営の強さのコアを忠誠心と見なし、この忠誠心の稀薄化を日本企業の活力低下傾向であると心配する経営者もいる。
しかし、多く言われる忠誠心の中身とは、「組織に寄りかかろうとする精神」であることが多い。
この場合は、生き甲斐らしきものが簡単に見つけられる。
しかし、自分で作ったものではないだけに、砂上の楼閣のような生き甲斐である。
降格や左遷で、それがいったん裏切られたりすると、古いタイプの会社人間ほど自己分裂状態に陥り、ひどいときはノイローゼになったりしてしまう。
会社人間が自分で生き甲斐を作らず、会社に生き甲斐を保障してもらってきたツケが回った結果のノイローゼとも言える。
核心から目をそらし、問題を先送りしても、なんの解決にもならない。
会社という他人様から借りた生き甲斐、あるいは家族・子供からお借りした生き甲斐は、いずれ他人様にお返ししなければならない。
いずれお返しするものであるだけに、これは年を取れば取るほど辛いものとなる。
いずれ定年を迎える。
定年ということは、孤独になるということでもある。
その時に、会社以外に生き甲斐がないというのでは、なんとも心もとない。
その日のためにも、自分だけの生き甲斐を会社以外に見つけておくことが大事だ。
だが、それだけではない。
遊びは一見ムダに見えるが、サラリーマンをしぶとくさせる。
会社のなかでしたたかに生きているサラリーマンを見ると、遊びの好きな人、遊びの上手な人が非常に多い。
人生で、自分の思い通りに進むことは少ない。
遊びをやる人は、その点を知っている。
自分の思い通りにならないことがあると知っていれば、駆け引きも上手になる。
ここは少し静かにしたはうがいい、引いたほうがいい、ここは逃げたほうがいいと、いろいろなことがわかってくるものだ。
そういう面で、遊びを知っている人は、サラリーマンの機微に非常に強い。
したたかさの発揮どころを知っている。
また、遊びの場は情報の場になる。
情報は人が持っているものであるから、遊ぶ場を持って人と会う機会をたくさん持っている人には、基本的に情報がたくさん入ってくる。
仕事に直接関係のない遊びや趣味仲間が、実は貴重なアイデアやヒントを与えてくれることも多い。
だから遊びの余力を持っている人が強い。
遊びの価値は非常に大きい。
単身赴任者の悲劇がよく話題になるが、これも遊びや趣味がないことと無関係ではない。
身近に家庭がないから、仕事から他への頭の切り替えが容易にできない。
つき合いも会社の部下や同僚が中心になりがちだし、寂しさも手伝って、知らず知らずのうちに24時間会社人間になってしまう。
休日には時間を持て余し、なにもせずにボケッと終わってしまえばまだいいが、ついつい仕事のことを考えてしまう。
ついには、休日出勤までするようになる。
単身赴任者こそ、まず豊かな遊びの時間、趣味の世界を持たねばならない。
単身赴任者にかぎらず、仕事のしすぎは、心身の防衛のためにも、会社仲間とのよきコミュニケーション維持のためにも、かえってマイナスである。
よきコミュニケーションは、いつもべったりであるからといって保てるものではない。
適度な距離と、適度な回数、適度な時間がなければならない。
遊びにランクはない
翻ってみれば、サラリーマンの宮仕えをしんどくさせているのは、実はほかならぬサラリーマン自身である。
サラリーマンが互いに相手を嫉妬し、互いの行動を規制し合っている。
こうしたご時世にもかかわらず、三人に一人がサービス残業をしているというデータもある。
月21時間以上のサービス残業をしている人が約2割もいるというから驚きである。
有給休暇の低消化、労働時間の短縮にあまり関心を持たないことなどは、サラリーマンが自分で自分の首を締めている典型的な例だ。
そこにあるのは、自分が休めば他人に迷惑がかかるという殊勝な気持ちばかりではないはずだ。
休めば、自分の地位、ポストが蒸発していってしまうような不安、人格を否定されるような不安を抱いているからである。
裏返して言うと、他人とおよそ変わらない仕事しかしていない、他人と同じ価値観しか持っていないということの証明である。
会社から格別の知恵も感性も要求されない、となると、極端な話、忙しごっこと忠誠心ごっこで他人と差別化し合い、競争し合うのがいちばん簡単で効率がいい。
労働時間がつい長くなってしまうはずである。
遊びが大事と言っているが、別に働き蜂を否定しているわけではない。
遊びとは、本人が楽しくなければならない、喜ばなければ意味がない。
だから、仕事が遊びになっても一向に構わない。
それが楽しければ、一生懸命やればよい。
ただ、仕事にブレーキをかけるべきときは、むしろ思い切ってブレーキをかけ、遊びや豊かな趣味に時間を割くべきであると言いたいだけである。
そしてその際は、遊びにランクをつけないことだ。
もともと遊びには上下のつけようなどないのだが、読書や芸術は一流、スポーツは二流などと、上下の順序をつけたがるのが滅私奉公世代でもある。
あえて遊びにランクをつけるとすれば、自分の好きなことが最上位に位置するだけである。
遊びというものは、やってみるとわかるが、実は大変な作業である。
それも創造的な、他人があまりやっていないことをやろうとすると、大きな苦労がいる。
「創造」とは自分を賭けて行うことであるから、思わぬ障害に出くわすこともある。
また、そうした障害があれば、それを乗り越えたときの充足感も大きい。
なにをすればいいのかわからない人には、地域のグループ活動を生かす手もある。
そうしたグループに参加してもいいだろう。
また、自分の遊びや趣味がある一定の域に達したら、それを他人のために役立てることも可能だ。
たとえば、静岡県に「余暇プランナー制度」というものがある。
県民の余暇に対する理解を促進し、余暇活動を支援するため、相談に乗ったり情報発信する「余暇名人」制度である。
活動費も出ないが、企画も実施もプランナーが自主的に行う。
資格は、人に教えられる趣味を持っていることというだけである。
また富山県でも、「ゆとり名人」制度が発足している。
こうした制度は、まだかぎられているが、浸透し始めれば相当なスピードで普及するだろう。
「余暇名人」になれるような趣味を持つ人と、まったくそうした趣味を持たない人とでは、生き甲斐に天と地ほどの差が生じてしまう。
伊能忠敬は、田地持ちで商人であったが、隠居後の50歳になって、本格的に地理や天文学の勉強を始めている。
これを高度な趣味、遊びとしてやったのである。
そして、72歳まで日本全国を踏破し、日本初の測量地図を完成させている。
仕事は誰でもいつでもできるものだ。
これからのサラリーマンは、むしろプライベートな時間の使い方で勝負が決まる。
自分なりの価値観や、もっと奥行きの深い生き甲斐を持つべきだろう。
40、50にもなって、まだ会社で集団でワッショイワッショイやるだけがとりえではどうしようもない。
自分の足で歩く訓練が大事だ。
それができていない会社人間は、この人生80年時代、必ずどこかでつまずき、遭難してしまうものである。
難しいところは、サラリーマンが豊かになる公式がないことである。
お金とか地位とか、家族といったものをある公式に代入すれば、豊かな人生、生き甲斐という解答が出るものではないということだ。
生き甲斐はプロセスであり、積み上げていくものである。
自分で生き甲斐を作っていく過程そのものである。
はっきりこれが生き甲斐と決められる人もあるだろうが、まずたいていの人は自分で自分の生き甲斐を作るということは、試行錯誤しながら積み上げていく努力に他ならない。
自分で生き甲斐を作っていく過程は、いま流行りの言葉で言えば「人生のリエンジニアリング」ということになるだろうか。
四捨五入して言えば、リエンジニアリングとは高度情報通信機器を活用して仕事のプロセスを抜本的に変え、劇的な業績の向上をはかることである。
提唱者のM・ハマーとJ・チャンピーは、それを「既存のものを修正したり、基本的な構造には手をつけずに漸進的な変化を起こすという意味ではなく、初めからやり直すこと」と定義している。
しかし、人生にはそれは無理な相談だから、「再設計」「改革」というぐらいに考えてみてはどうだろうか。
人生のリエンジニアリングとは、初めから「やり直す決意」で、これからの自分の人生というプロセス変換にこの瞬間から臨むことである。
シニアライフは自己発揮のステージ
「自分」の時代が始まる
シニアライフを要約すれば、多くの人にとっては仕事(会社等に拘束された労働)、生計の維持、子育てなどから開放されたゆとりの時代となる。
しかも、多くのシニアは健康であり、人生80年時代の長くて自由な時間をこれから持つことになっている。
そして、これからのシニアは、こうした時間を有効に活用し、自由な生活を享受する方向に向かいつつある。
例えば、「定年」にこだわらない循環型の生き方などは、日本型経営の崩壊を背景としてすでに特異な生き方ではなくなっている。
また、年齢を感じさせないエージレスのライフスタイルも多くみられるようになった。
確実に日本のシニアは、新しい時代を迎えている。
その結果、これからのシニアには、いきいきとした拡がりのあるシニアライフの展開が期待される。
生きがいを求めての仕事(ワーク)、学習・研究活動、文化・趣味活動、社会活動、あるいは、スポーツ、あそび、旅、海外ツアーなどシニアにはこうした自由で多彩な生き方が可能になる。
つまり、これからのシニアは、本当の「自分」を発揮する生き方、自分が納得できる生き方をすることが可能なのである。
これからのシニアのライフパターン
束縛から自由に解放されたシニアライフは、それぞれの人の価値感、生きざまによって多様な形をとるものと考えられる。
以下、これからのシニアライフの四つのパターンを、モデル化してみることにする。
この四つのパターンには、これからシニアに期待する生き方だけでなく、現在の中高年層に多いパターンも取りあげ対照してみることにした。
(1)循環型(ホロニック型)シニアライフ
アメリカだけではなく、日本でもこれからのシニアの一般像となろう。
定年にこだわらず早い時期から余暇・仕事の一体化した複線型ライフパターンに入ることも考えられる。
労働・ワークからは段階的でおだやかな引退となる。
余暇上手であり、ワーク、学習、レジャー、社会活動など多彩な生活を展開することになる。
(2)機会開発型シニアライフ
定年、あるいは会社を退職を機会に全く新しい生活に挑戦するパターンである。
自分の意志による過去(会社とその仕事)との積極的断絶である。
自分の求める仕事(ワーク)、社会活動、研究活動などにより、自分の生きがいを実現させようとする。
(3)天職一直線型シニアライフ
学者、芸術家に多いパターンであり、早くから天職を発見し、それを貫いている。
仕事はワークであり、自分を中心とする自由な生き方で仕事も余暇も一体化している。
もちろん、ワークそのものには、挫折や断絶もあり、生涯一直線を貫ける人はすぐれた才能と強固な意志に恵まれた人ともいえる。
(4)定年断絶直線型シニアライフ
これまでの中高年サラリーマンに多いパターンである。
定年になったら何をしていいかわからない、余暇下手でレジャーの楽しみ方も知らない、全てが妻だよりとなる。
会社中毒、仕事中毒から抜け切れず、何をすることもなく無為のままに「老い」を迎えることになる。
余暇生活においても自立できないパターンである。
以上のように、シニアには様々な生き方がある。
しかし、共通しているのは、これからのシニアライフには自由で豊富ともいえる時間が残されていることである。
この時代こそ、自分がかつてやりたかったこと、今やりたいことを実現するチャンスの時でもある。
あえて、現在の中高年サラリーマンに対して申し上げたいことは、余暇生活に対して積極的に立ち向かい、自立性のあるシニアの生き方を確立していただきいたということである。
シニアライフの領域を拡げる自己啓発
仕事を中心とした自己啓発、資格取得についてはすでに説明した。
ここでは、シニアの生きがいとしての自己啓発に絞って概括してみる。
生活領域を拡げる三つの自己啓発
昭和63年7月、文部省はそれまでの「社会教育局」を「生涯学習局」として組織を拡大した。
上から押しつける「教育」から、自らの意志を大事にする「学習」へと言葉の上では一つの進歩である。
しかし、内容的にはやはり上が決めた形式的制度という従来のパターンとは大きく変わっていない。
こうした批判はともかくとして、この生涯学習という文教政策は高齢者に対しても様々な学習機会を与えることとなった。
高齢者に してみれば、この与えられた機会を活用して、これからの時代に必要になる能力を開発するとか、新しい生きがいを発掘すればよいのである。
こうした場を活用しながら、シニアの生きがいのための自己啓発の方向として、次の三つを取りあげることにする。
- (1) 学習することで、青春を取り戻し、新しい仲間をつくる(コミュニティ型)
- (2) 若い頃からの夢であった専門的学習研究を行い、自己実現を図る(研究型)
- (3) シニアとしての社会貢献の技術を身につける(社会貢献型)
青春を取り戻す
文部省の生涯学習政策に沿って、各自治体には、老人大学と呼ばれる生涯学習講座が開設されている。
そこは、学習することが当然主目的だが、シニアの仲間が集まって青春を取り戻す場ともなっている。
埼玉県の老人大学、名付けて「生きがい大学」のケースでその実態をみることにする。
学習期間によって1年過程と2年過程の二つのコースがある。
1年過程の場合は学習日が月2回、午前10時から午後4時半まで。
1時間半の講義が午前と午後に一回ずつある。
午後2時45分で授業が終わり、あとは課外活動となる。
そこでは、ダンス、詩吟、書道などのクラブ活動が行われる。
学園祭や修学旅行などの自治会活動も活発で仲間づくりに役立っている。
2年過程は週に1回、午前10時から午後5時まで。
生活科、福祉科、ふるさと伝承科、美術工芸科など専門コースに分かれており、合同学習を交えながら、専門別に学習を深めている。
場所は、福祉センターやコミュニティセンターを利用し、1年過程が7会場で、2年過程は2会場で行っている。
集ってくる学生は非常に熱心であり、皆勤賞の人は毎年30〜40%に及ぶという。
こうして熱心に通い続ける動機は、人との出会い、つまり仲間との交流である。
開校当初に力を入れるクラブ活動や自治会活動は、シニア同志の仲間づくりに大きく貢献している。
老人大学は、学習もさることながら、シルバーのためのコミュニティとしての役割が高く評価される。
専門を深める
さらに専門的に学習したいとすれば、大学の大学公開講座を受講する手もある。
文部省調査(93年度)によれば、全国の国・公・私立大学534の約85%にあたる452校で、公開講座が開かれている。
講座数も4,590あり、延54万人の人が受講している。
そして、それにあきたらず、本格的に勉強したい人は、大学への学士入学(編入試験を受けて3年からの入学)、大学院入学ということになる。
かつての大学生活は就職のためのものにすぎなかった。
自分が本当に学びたいものはほかにあったとして、定年になってから大学へ再入学する人は年々増加している。
シニアの生きがいとしての専門分野の学習である。
仕事等の束縛から開放された定年退職後の時間は、自由でゆったりとした気持ちで学習と研究を進めることができる。
社会貢献の技術を身につける
仕事のための自己啓発、資格取得については、すでに検討した。
ここでは、シニアとしての社会貢献という視点から、次の二つを自己啓発のテーマとしてとりあげる。
第一は、社会福祉のため技術取得である。
点訳、朗読、手話などで一人前のボランティアとして役立つまでには、相当期間の通信教育や講習会による訓練が必要であり、手話通訳士のように資格取得を求められるものもある。
ある広報誌で朗読ボランティアを募集したところ百数十人の応募があったが、約1年の発声や読み方の訓練の間にはほとんどが脱落、ボランティアとして残ったのはわずか2名だったという。
ホームヘルパー(老人家庭奉仕員)も同じように研修が義務づけられている。
厚生労働省は91年度から老人介護のためのホームヘルパー養成制度を導入、地方自治体や介護福祉学校などが研修を行っている。
養成過程には三つコースがあり、主として家事援助にあたる3級課程で40時間、身体的介護にあたる2級課程で90時間、基幹的なホームヘルパーになる1級課程では360時間の研修が必要になっている。
このように、簡単に社会福祉はというが、一人前になるまでには、辛抱強い訓練とやる気が必要なのである。
もう一つは、これから伸びそうな分野として、余暇時間の過ごし方など老人の人生を指南するアドバイザーの分野がある。
これに関連する主な民間資格には次のようなものがある。
- 文部省系……日本レクリエーション協会の「余暇生活開発士」
- 厚生労働省系……健康・生きがい開発財団の「生きがいづくりアドバイザー」
- 経済企画庁系……シニアルネッサンス財団の「シニアライフアドバイザー」
資格取得のためには、所定の養成講座を受講しなければならない。
余暇生活士の場合は1年間の通信教育、健康生きがいづくりアドバイザーは11日間の研修、シニアライフアドバイザーは8日間の研修が条件である。
ただし、この資格は現在のところ、資格をとってもそれを生かす場所は少ないといわれる。
しかし、これからは日本人にとっては未知ともいうべき、高齢化社会の余暇優先時代が始まり、こうしたニーズは高まる。
現在の中高年サラリーマンは余暇下手であり、これから始まる余暇を中心とするシニアライフの長い時間をもてあましてしまう懸念がある。
余暇社会参加の近道、シニアのボランティア活動
ボランティア活動は、余暇生活の一つの分野であるが、単なる個人としての遊び、趣味だけでは飽き足りない、社会との連帯感を持ちたい、社会的存在感を得たいというシニアにふさわしい活動分野として、注目を浴びている。
ボランティアとは自発的で無償の社会貢献
「ボランティア」という言葉は、「自由意志」という意味を表すラテン語ボランタス(Voluntas)が語源。
通常は、自らの意志で、見返りを期待しない社会貢献のことである。
つまり、他から強制されたり動員されて参加するものではなく自発的行動であることが第一条件で、あくまで主体は自分にある。
その一方、経済的な見返りを求めない無償の行為で、市民生活や社会にプラスをもたらす行動の総称ともいえる。
従来の活動分野は、高齢者や障害者を対象とする福祉型活動が中心であったが、現在は社会教育、国際協力、人権擁護、地球環境保護など活動分野は多岐にわたっている。
ボランティア活動のいろいろについては、活動 分野だけでなく、活動形態、活動場所、活動範囲も様々である。
活動形態では、物品、金銭、労力、技術、こころによる支援がある。
活動場所でも、家庭、地域社会、福祉施設、職域、広域社会、国際 社会とその範囲は幅広い。
こうしたボランティア活動の原則は次のような理念に集約されて いる。
- (1) 自発性(自主性・主体性)
- (2) 無償性(非営利性)
- (3) 公共性(公益性)
- (4) 先駆性(社会開発性)
こうしたボランティア活動は、日本の場合、欧米との宗教的観念の違いもあり、非営利性、公益性などの面で、その発展は容易でないとみられてきた。
しかし、1995年1月の阪神大震災時にみられた若者を率先とする救援活動は、日本においてもボランティアの理念が定着しつつあることを示すものといえる。
ボランティア活動のいろいろ
| 項 目 | 事 例 | |
|---|---|---|
| 1.福祉(老人、障害者) | 介護ボランティア | |
| 2.文化・芸術、教育 | 点訳ボランティア | |
| 3.スポーツ・レクリエーション | オリンピック支援ボランティア | |
| 4.自然・環境保護 | グリーンピース運動 | |
| 5.国際協力 | 国際看護ボランティア | |
| 6.物品による支援 | 品物、製品、車両、会場などの提供など | |
| 7.金銭による支援 | 寄付、募金活動など | |
| 8.労力による支援 | 介助、介護、訪問、送迎、遊び相手、清掃など | |
| 9.技術による支援 | 翻訳、点訳、芸能、レクリエーション指導など | |
| 10.こころによる支援 | 相談、助言活動、教育里親など | |
| 11.家庭で | 翻訳、ホームステイ、盲導犬飼育など | |
| 12.地域社会で | 清掃・資源回収、スポーツ・レクリエーション指導など | |
| 13.施設で | 福祉施設での生活援助、図書館での対面 | |
| 14.広域で | 災害救援、植林・森林の下草刈り、観光通訳など | |
| 15.国際社会で | 国際ボランティア団体の活動への参加など | |
| 16.その他 | 道路清掃ボランティア |
ボランティア活動は難しく考えない
ボランティアとは、自発的で無償の社会貢献活動であると、大上段にふりかざして難しく考えないことである。
特に、シニアの場合、自分なりに少しでも社会に役にたつことが出来ればよい位に気軽に考えて参加すべきなのである。
それが、社会とのつながりになり、生きていることの満足にもなる。
ボランティア活動を、「ボランティア的」とやや幅を拡げて考えてみよう。
生活との関わり方でボランティア的活動をみると、それは三つのパターンに区分される。
第一は、主体的に参加するパターンである。
自分がこれからする行動は、必ず社会に役立つという強い使命感と自負心を持っている。
即ち、自己実現のため、あるいは生きがいという人間の基本的欲求をボランティア活動を通じて追求するパターンである。
代表例としては、御子息のカンボジアにおける死を契機に国際ボランティアに転進した中田武仁さんのケースがあげられる。
しかし、何もこうしたドラスチックなものばかりではない。
身近にも地道な例がある。
市の公園で毎朝黙々とゴミ掃除を続けている年配者がいる。
聞けば、老人仲間のボランティア活動として始めたのだが、いつのまにか一人になってしまったというのである。
そして、自分一人でも動けなくなるまでは働くと、明るく笑顔で答える。
公園の朝の清掃はその人の社会参加であり、生きがいなのである。
これもまた立派な主体性のあるボランティア活動といえる。
第二のパターンは、気軽に市民生活の一部として、ボランティアグループの一員に加わることである。
グループ、公共団体等の呼び かけに応じて参加することが多く、やや消極的活動ともいえる。
しかし、日常生活の中で、ボランティアという社会貢献の時間を持つことは、社会との連帯感、市民としての満足感にもつながる。
日本人の場合、まずこうした自分のできる分野と範囲での活動から始めることが大事と考えられる。
第三は、相互扶助というパターンである。
核家族化した高齢化社会では、高齢者が高齢者の面倒をみるというケースが多い。
今日、介護しているものが、明日介護されることになる社会である。
自分が活動出来る時にワーカーとなり、自分が必要になる時には依頼するといったシステムも必要である。
現在、「時間貯蓄制度」、「ボランティア切符制度」などボランティア精神を体現した、ボランティアネットワークづくりが検討されている。
以上、生活との関わり方から、広い意味でのボランティア活動の三つのパターンをあげてみた。
要は、気軽にボランティア活動に参加することであり、そこからシニアとなってからの新しい人間関係のネットワークが生まれるはずである。
シニアボランティアの活動分野
ボランティア活動の範囲は、海外への技術指導ボランティアから始まって老人のためのホームヘルパーに至るまで、その幅は極めて広い。
その中から、シニア世代の活躍が期待される活動のいくつかを例題として、ランダムにあげてみることにする。
(1)老人のための支援活動
掃除・洗濯・買物等の家事支援、在宅寝たきり老人の介護、入浴サービス、老人ホームへの慰問など。
(2)その他の社会福祉活動
点訳ボランティア、朗読ボランティア、手話ボランティア、障害児ヘルパーなど。
(3)地域社会への貢献活動
道路清掃ボランティア、公園愛護ボランティアなど。
(4)自然保護活動
植樹ボランティア、花いっぱいボランティア、鈴虫の保存ボランティアなど。
(5)次の世代との共生、伝承活動
レクリエーション指導、ボーイスカウト指導、伝統工芸・ふるさとの味などの伝承活動、戦争体験の悲惨さの記録づくり、おもちゃの病院ボランティアなど。
(5)国際協力活動
日本語ガイドボランティア(海外からの観光客対象)、日本語ボランティア(国内在住外国人対象)、海外ボランティアなど。
なお、海外ボランティアの代表なものは、「日本シルバー・ボランティアズ」が派遣する高齢者対象の技術協力チーム。
日本の優秀な技術を求める発展途上国の要請と自分の技術を生かして社会に貢献したいという高齢者の希望が合致した結果である。
「余暇」で拡げるシニアの生きがい
余暇下手シニアから余暇上手へ
すでに述べた通り、人生80年代のシニアライフは、仕事(ワーク)と余暇(レジャー)が一体化したものであり、年が加わると共に、余暇時間のウエイトが増す。
ところが、仕事一筋に生きてきた現在の定年後サラリーマンは、余暇を積極的に活用し楽しもうとする意欲も低く、また、「無芸退職」と云われるようにその過ごし方が下手である。
以下、「レジャー自書」(余暇開発センター)により、60歳以上の現在の高齢者と40代、50代の次期高齢者の余暇志向を対比しながら、その特性を要約してみる。
積極性を欠く余暇意識 − 現在の高齢者
「余暇時間」については、男性は妻への依存志向が強く、妻のほかにはあまり余暇を過ごす相手がいないという「ぬれ落葉」現象が裏付けられる。
これに対し、女性の場合は、友人・知人を志向したり、あるいは一人になりたいと思っており、高齢者男女間の意識のずれは大きい。
次に自由時間活動の潜在ニーズ(今後の希望と現在の差)であるが、若い世代に比べて非常に小さく、例外は「家庭菜園、趣味としての農業」程度。
それ以外の活動、特に鑑賞・創作、スポーツ・健康づくり、日曜大工などの創作活動、アウトドア活動といった「行動型」、「創造型」の余暇活動についての希望は他の世代に比べてかなり低くなっている。
このように余暇を積極的に楽しもうという意 欲の欠如は、現在の高齢者に共通する問題点であり、特に、60歳以上の男性にこの傾向が強い。
この点で、アメリカ人のパピーリタイアメントとの格差は大きい。
したがって、現在の高齢者層には、高齢者自身の余暇活動への開発努力と同時に、自治体等による地域社会レベルでの余暇機会サービスの提供も必要だとしている。
余暇意識に目覚める次期高齢者群
現在40代、50代の次期高齢者層は60代になった時の生活パターンを次のように想定している。
全体としては余暇重視の傾向となる。
まず、男性についてみると、若い年代ほど高齢期も仕事中心と考える人は少くなる。
それと対照的に50代、40代と若くなるほど、余暇の方向に重心が移動し、「趣味、スポーツ、アウトドア活動など、好きなことをして暮らす生活」の予想が多くなっている。
また女性についてみても、男性同様に余暇志向は強まる。
ただし、現在の高齢女性に比較すればかなり低くはなるが、男性に比べれば「家事や家族中心の生活」の比率が依然高く、やはり家事や家族の束縛はなお大きいと予想している。
次に、余暇時間に対する潜在的ニーズをみると、休養、気晴らしの時間が減り、自然と親しむ・スポーツ・芸術・音楽などの「楽しむ志向」に加えて、「能力開発」や「健康づくり」が上位に出てくる。
さらに50代男女になると、「ボランティア」や「地域志向」が強く出てくる。
50代ともなるとリタイア後の地域での生活を意識し始めているともいえる。
40代・50代の次期高齢者層の場合は、現在の高齢者と異なり「自由時間を活かす」という積極的な問題意識を持っている。
また、この間題意識の延長線上には、高齢者自身が自ら立ち、自らを助け、共に生きるという、いわば「自立と共生」への傾向が読みとれる。
次期高齢者層の自由時間ニーズは次の四つが特徴的である。
- (1) 余暇そのものを楽しむ「楽しみ型」
- (2) 自分自身を高める「能力開発型」
- (3) 健康づくりや健康増進のための活動
- (4) ボランティアや地域活動
現在の40代・50代の中心は団塊の世代であり、現在の高齢者に比較すれば、かなりの余暇上手になっている姿が想像される。
余暇能力、余暇知識などの余暇資源の蓄積も進んでいる。
そして、こうした次期高齢者の余暇上手の背景には、余暇生活における新しい人間関係の形成とそれに基く余暇生活に拡がりがあるようである。
以下、余暇生活についての具体論に入るが、ここでは、人間関係づくりを中心に余暇社会への入り方、ボランティア活動を軸とする余暇社会への参加の仕方を最重点として述べることとする。
当サイトは、健康でありこれからを前向きに生きようとするシニアライフについての提案を目的としている。
余暇生活に向けて、新しい人間関係をどう切り拓くか
定年が縁の切れ目の「仕事縁」
定年後も仕事をしばらく続けるとしても、次第に仕事よりも余暇の時間が多くなり、やがては余暇中心の時代が来る。
会社縁、仕事緑の人間関係は薄れて行くのである。
次に、定年退職した男性の友人ネットワークの変化については、定年前からの仕事関係の友人との関係がいぜん変わらないで続いているとしている人が最も多い。
しかし、この関係は、さらに何年かたてば次第に薄れて行く性質のものだ。
代って、近所や地域の友人、サークルの友人との付きあいは深まってはいるものの、飛び抜けて高い比率でもない。
やはり、仕事縁による人間関係が中心で、これから始まる本格的余暇生活についての人間関係づくり、ネットワークづくりが遅れているのだ。
地域にも必ず仲間がいる
地域コミュニティを敬遠するな
人間関係づくりの第一歩は、地域との関わりだが、定年サラリーマンの場合はこれがきわめて希薄である。
地域生活において、近隣との日常的接触はほとんどなく、町内会加入も含めて近所づきあいは全く妻まかせという人が多い。
定年となり、余暇時間が増える。
今さら顔を出すのは億劫とはい わずにまず町内のイベント、祭り等に気軽に出てみることが大切だ。
市町村が主宰している生きがい教室、文化教室にも参加してみる。
老人クラブなども覗いてみる。
こうした団体は地域老人の親睦団体だとか、官主導の押し着せ型の教室であるとかいって参加することに抵抗感のある人もいる。
しかし、こうした人は自分だけでなく同じように感じている仲間が必ずいるはずで、その仲間が集って新しいサークルをつくればよい位の気持ちが肝要だ。
遊ぶだけではいやだという人には、各市区町村には、シルバー人材センターもあれば、ボランティアセンターもある。
そこから紹介されるシニアとしてのワーク、ボランティア活動を通じて、様々な人と出会える、新しい仲間も出来る。
特に、地域ボランティア活動は、新しい人間関係づくりという観点でも注目される。
地域を超えてネットワークは拡げられる
これからは、インターネットという言葉で代表される高度情報化社会となる。
中高年者を対象とする、地域をこえた新たな人間関係 ネットワークも形成されつつある。
例えば、高齢者を中心に活動している「メロウネット」。
通産省が90年に打ち出した「メロウ・ソサイエティ構想」をもとに、NIFT-ServeとPC-VANの二つのパソコン通信内に開設されている。
「定年と新しい生きがい」など定年後の生活問題をパソコンを通じて語りあっている。
現在、4,000人近い人が加入、その7割が50代以上となっている。
その効果については、昨日までの会社人間にいきなり地域に飛び込めといっても難しい、パソコンのオンラインで知りあい、直接会うことで交流が深められるという、サラリーマンOBにとっては最適の仲間づくりになるとしている。
また、サラリーマンOBのために新しい仲間作りの場を提供している組織に日本セカンドライフ協会(JASS)があり、その季刊情報誌「JASSネット」は、若者向けイベント情報誌「ぴあ」をもじって「シルバー版ぴあ」とも呼ばれている。
同誌には、料理教室、美術展鑑賞、ボランティアマネジメント講座など約300のイベントが紹介されており、年間1,200ものイベントが企画提供されることになる。
メロウネット同様、JASSネットにも次のような効果があるとしている。
会社生活しか知らなかったサラリーマンにはやはり地域社会の敷居は高い、といって会社のOB会もタテ社会の関係をそまのまま引きずってしまうようで居心地はよくない、自由にセカンドライフを楽しみたい仲間を求める人たちの受け皿になっているというのである。
このように、探してみれば、地域をこえたネットワークづくりも出来るのだ。
仕事に生きるシニア世代はたくさんいる
いきいきと仕事に生きるグループ
何となく仕事を続けたいという消極グループとは対照的に、自ら仕事を求め、仕事を通じていきいきと生きている積極グループがある。
それには、次のようなものがある。
第一は、卒サラ人種を含めた自営業者、ベンチャー企業経営者、サラリーマン時代のキャリアを生かして独立した専門家などである。
これらについては第一部で詳しく述べているので、ここではあまり触れない。
ただ、専門家グループの今後については、「ゴールドカラー」としての仕事への対応が求められる。
アメリカでは1950年代の経済黄金時代のあと、所得格差が拡がり、ブルーカラーやグレーカラーの地位が低下した。
そして、それのみならず、ホワイトカラーも二極分解し、単なる事務職はブルー、グレーなみになり、一部のエリートホワイトカラーのみが高所得層を形成するようになったといわれる。
このエリート層がゴールドカラーである。
具体的には、研究科学者、設計技術者、エンジニア、投資顧問、弁護士、コンサルタント、会計士など、また新しい職種としてヘッドハンター、システム・アナリスト、またアメリカ的職業としてTV・映画プロデューサー、ジャーナリスト、アートディレクターなどがあげられている。
しかし、これらの職種全体がゴールドカラーとなる訳でなく、ゴールドカラーとして認められるためには、それに対応する能力も当然求められる。
米国ゴールドカラーの特徴としては、学歴が高いこと、情報テクノロジーを駆使できること、国際的視野を持つことなどがあげられている。
また、環境が変わってもそれに対応する付加価値を生みだすことができる、つまり、柔軟で創造的な能力を持ち、しかもそれが国際的にも通用するような人材がゴールドカラーであるとしている。
日本の中高年ホワイトカラーが、専門家として独立しても、このような素質と能力がなければ、やがては時代に取り残されることになる。
専門家としての独立は必ずしも甘くはない。
以上の第一のグループは、かつてのキャリアを生かし、過去の仕事の延長線上で、シニアとしてのビジネスライフを享受しているグループである。
これに対し、以下にかかげるグループは、仕事が先にあるのではなく、自らの生きがい、あるいはこれからの市民生活において自ら果たすべき役割の追求の結果としての仕事を発見したグループである。
やや古くなるが、増田米二氏は1987年の著書「超高齢化社会」(講談社)で、「機会開発者」としての生き方を提言している。
機会開発で人生を新しく生きる
私達は、経済の高度成長を背景に、ひたすら物的な豊かさを追い続けてきた。
しかし、高齢化社会が急速に進行する中で、生きがいとして心の充足を求める新しい型の生活者が誕生するようになった。
増田氏によれば、この生きがいを追求する新しい型の生活者を、「機会開発者」と呼んでいる。
機会開発者(Opportunity developer)とは「未来の新しい機会を創造的に開発していく人」であり、いろいろな問題を解決し、新しい将来の可能性を開拓する人であるとしている。
未来における新しい可能性の開拓といえば、かつてのアメリカ西部劇における荒くれだった辺境開拓のパイオニア達のイメージが浮かぶ。
現代においても、宇宙開発、マルチメディア社会構築など先端的開拓分野がある。
しかし、経済も成熟時代に入った高齢化社会では、パイオニアという言葉からすれば、地道ともいえる開拓分野も重要になってくる。
例えば、経済至上主義の産業社会に汚染され 破壊された地球環境の修復、加速度的に増え続ける高齢者のための生活環境の整備と創造など。
これらのテーマは地味であると同時に、現段階では経済的メリットも少ない分野でもある。
だが、これらの分野は、われわれの生活に密着し、われわれの生命にも関わる重要分野である。
高齢化社会の生活者、機会開発者達には、こうしたテーマとの対決が、特に望まれるといえよう。
増田氏も当サイトと同様、こうした機会開発のパイオニアの役割を、中高年層に期待している。
例えば、定年を60歳とすればそれから平均20年の豊富な未来時間を持っている。
その上、これらの人々は人生の数々のキャリア、専門知識や能力を持っている。
しかも、多くの人は自分の家を持ち経済的にも不自由ではなく、そして健康でもある。
このように人生80年時代のシニアには、未来時間、能力、経済力、健康という機会開発をするための四つの条件を完備しているというのである。
つけ加えれば、この世代にはこれまで自分を育て生活させてもらった社会、大げさにいえば地球環境の恩恵に感謝し、恩返しをしなければならない年代でもあるのだ。
機会開発者の地味な事例を一つ、日本経済新聞の記事から紹介する。
横浜に住むN氏、68歳となってフリーのホームヘルパーとして独立した。
N氏は大手電機メーカーの関連会社の役員を63歳で定年退職している。
その直後、義母ががんで倒れた。
その介護をするうちにヘルパーとしての適性に目覚め、介護研修を受け登録ヘルパーとなった。
始めてみるとこれが楽しい。
神奈川県内で働く男性ヘルパー達と「男性ヘルパーの会」を作り、技術に磨きをかけた。
しかし、登録ヘルパーは68歳が定年。
そこで第三の職業として編みだしたのが、「フリー・ヘルパー」である。
登録ヘルパー時代のお年寄りから「定年後も続けて」と頼まれることも多い。
そして、その一方では地元福祉団体の介護ボランティアとしても活躍している。
このようにN氏が第三の人生を楽しく生きられるのも、ヘルパーとしての技術を身につけ、高齢化社会が求める新しいタイプの職人として自立する道を発見したからである。
しかも、その原点には損得抜きで「自分を待っている人がいる」という喜び(生きがい)がある。
こうした介護などの福祉関連ビジネス、リサイクルも含めた環境保全ビジネスは、現在、最も注目されている機会開発型事業領域といえよう。
将算性はともかく、社会的意義も高く、参入する企業、ベンチャー、個人が多くなっている。
こうした、機会開発者は80代の高齢者から20代の若者まで広い拡がりを見せている。
この機会開発者達の基本的特徴は、次の四つである。
第一は、新しいライフスタイルのクリエーターであること。
それぞれが自分の新しい生きがいを求めて歩きだしている。
第二は、夢を措いているばかりいるロマン派ではなく、目標実現に向けて実際に行動している行動派であること。
第三は、自らの意志で自分の生きる道を選択した自立型個性派であること。
第四は、経済的な利益を第一の目的としていないこと。
生きがいとしての目標実現が究極の目的であり、その仕事による収入は、生計や事業を維持するためのものであり、金儲けを目的としていない。
機会開発は、これからのシニアに最も望まれる生き方である。
整備されつつあるシニアパワー発揮の場
定年退職後も仕事を続けることを望み、再就職斡旋機関の門をたたく人、自ら生きがいとしての仕事を自分で開拓する人、シニアの仕事の見つけ方は様々である。
シニアの再就職は厳しいといわれるが、その一方では、シニアパ ワーの発揮の場は、着々と整備されつつある。
その一つは企業サイドからの働く場の提供。
例えば、リース会社のオリックス。
長いキャリアの間に培った能力こそ貴重として、50代から60代の契約社員の大量募集を行っている。
その背景は急成長オリックスの社員年齢の若さ。
若さだけではどんなに優秀なセールスマンでも相手企業のトップに信頼を得るには時間がかかる。
顔が利くのは中高年の営業マンであると考えたからである。
同社の場合当初は50代の契約社員募集から始めている。
そして、半年後、首都圏など大都市圏を中心に、特定業界に強い中高年営業マン200名、年齢枠を68歳までに拡大しての採用に踏みきっている。
二つ目は、公的機関によるシニアパワー発揮の場である。
例えば、国際協力事業団。
熟年人材を活用するために、91年からシニア協力専門家を公募している。
年齢は男女とも40歳から69歳まで。
特に、60歳前後のシニアの応募が目立っているという。
民間企業でも、中高年社員のパワー活用による海外支援活動例は多い。
三つ目は、シニアの結集によるパワー発揮の場づくりである。
例えば、東京には「ローレイ」という平均年齢66歳の会社がある。
社会的存在である人間には、積極的に社会とかかわることなしに真の生きがいはありえない、シニアライフの充実にもそれが必要だとしてローレイを設立した。
「ローレイ」という社名は「栄光を物語るレイを首にかけ(LEI)、残りの人生をさらに実りあるものにするため、みんなで力を合わせて漕いで行こう(ROW)」という意味である。
業務内容は、経営コンサルティング、従業員教育、保険 代理業務、健康機器の斡旋販売など多岐にわたっている。
また、シニアだけ集まった企業として、マスコミ等でよく取り上げられるのは、東京・新宿のビジネスホテル「高さわ」。
平均年齢 65歳。
全員がホテル未経験、職業安定所を通じて募集している。
行動は機敏とはいえないが、律儀な対応ときめ細かい気づかいが評判を呼んで、ホテル経営は軌道に乗った。
シニアの再就職は、当今、厳しさを増しているといわれるが、このように丹念に見て行けば、様々な就業機会が潜んでいる。
シニアが注目すべき仕事の領域、第五次産業分野
シニアが、生き生きと仕事が続けられるビジネス領域はどこにあるか。
それを検討する前に、産業構造のマクロ的変化方向を頭にいれておく必要がある。
オーストラリアの歴史学者B・ジョーンズによれば、一次・二次・三次産業は歴史的に順次縮小して行く方向にある。
今後、成長と雇用の拡大が期待されるのは、第三次産業から独立し第四次産業となる情報関連部門とこれから説明する第五次産業部門であるとしている。
B・ジョーンズは「ポスト・サービス社会」を見すえて、第5次産業を次のように規定している。
即ち、これまで家庭でやっていたことを市場経済化したような部門であり、その内容は市場経済的部分だけでなく公的扶助やボランタリーな部分からなっている。
具体的には、家事サービス、自営業・自家生産活動、ボランティア活動、さらには介護、ベビーシッテイング、文化活動などもこの部門に含まれるとしている。
つまり、この部門は家庭などで行われてきた「インフォーマルな仕事(ワーク)」の分野なのである。
このインフォーマルなワークの性格は、大量生産に相対立する労働集約的なものであり、時には、趣味的、文化的、社会奉仕的、環境保護的な色彩も強い。
従って、従来の産業に対する観念からすれ ば、経済的メリットの追求よりも、「人のこころ」、「人のぬくもり」、「手づくり」といった志向を優先しており、経済効率は決していい とはいえない分野でもある。
その一方、この分野は、経済最優先としてきたこれまでの産業社会には欠けていた部分であり、経済も成熟化し高齢化社会ともなったこれからの日本社会には急速に重要となり、雇用拡大を期待できる分野でもある。
また、経済面からの効率性が当面(あるいは将来も)高いとはいえない事業分野として、経済最優先のライフステージを終えた中高年のシニアが積極的に参加し、自分達のためにも育てあげるべき産業分野の一つともいえる。
シニアの仕事(ワーク)はどこにあるか、どう取り組むか
当サイトは、主に中高年サラリーマンを主対象としている。
すでに述べた通り、かつての会社人間にとって、定年後も自分を生々と発揮でき、生きがいを発見しやすい場所は、仕事という場である。
そして、シニアの仕事には、生きがいとしての仕事、自分を生々とさせてくれる場としての仕事、そして生活(再生産)のための仕事という三つのパターンがあることを示した。
この三つのパターンは、必ずしも仕事との取り組み方のレベルを示すものではない。
生活のために始めた仕事がいつのまにか生きがいになったり、とりあえず自分を発揮できる場として選んだ仕事は実は自分にとっての天職であり生きがいになったりする。
つまり、仕事とは発展的な性格のものでもある。
そこで、定年になったが、生活のため、あるいは何もすることがなくとりあえず仕事でも続けようかとするシニアのための仕事の見つけ方から検討を始める。
仕事はある、社会とのつながりに意義がある
雇用情勢はいぜん厳しいが、健康であり、賃金などの勤務条件、再就職先の「格」などにこだわらなければ、仕事は見つけられる。
シニアの継続雇用は期待薄
中・長期的にみれば、若年労働力は不足であり、高齢者の雇用促進は必須の課題である。
しかも厚生年金受給開始が将来65歳に引き上げられることもあり、そのための労働環境の整備が急務となっている。
厚生労働省は、96年度から5ヶ年計画で「総合的雇用環境整備推進事業(ネクスト65推進事業)」を進めている。
これは、職住接近型オフィスや在宅勤務など高齢者が働きやすい勤務形態、導入する場合に必要な施設の整備、雇用管理上のノウハウなどの研究を目的とする労働省の事業である。
一方、企業側にも60歳以降の就業機会延長をにらんだ動きが、大企業を中心に拡がっている。
しかし、その多くは関連会社での再雇用がほとんどである。
例えば、松下電器産業では、通常は60歳定年だが、55歳でいったん退職し関連会社で65歳まで働けるコースを導入している。
また、日本IBMの場合は、本体は60歳定年、関連会社に転籍すれば65〜62歳定年となるといった状況である。
こうした中で、TEC(東洋エンジニアリング)は、97年度から65歳まで契約社員として雇用する制度を導入する。
だが、その内容は50〜54歳の幹部社員が希望し会社も了承した場合であり、60歳以降は1年毎の契約、年金分も含めた年収は契約社員となる前に比べて最大4割は下がるという条件である。
つまり、企業リストラと人件費抑制をも狙った高齢者雇用対策が主眼ともいえる。
このように、大手企業の場合でも、定年退職者の再雇用の条件は厳しい。
ましてや、一般企業における定年退職者の場合は、長年勤めあげた会社からの再雇用、転職先あっせんもあまり期待できず、仕事を継続したければ自分で探すことになる。
適職探しは困難だが、仕事探しはできる
再就職先探しについては、第一部でも触れたが、ここでは、定年退職のシニアの立場から、もう一度その概要を整理することとする。
有力なコネがなければ、職業安定所(ハローワーク)、シルバー人材センター、人材銀行(民間)などの斡旋機関を利用することになる。
(1) 公共職業安定所・・・「ハローワーク」という愛称によりイメージ転換を図り、総合雇用情報センターへの脱皮を目指している。
しかし、斡旋内容的には旧態依然としており、求人先の職種は単純労働が多く、求職者の職能にかかわらず、賃金条件の低いものが圧倒的である。
こうした中にも、高齢者雇用への柔軟な働きもあり、注目される。
例えば、ハローワーク奈良。
92年度から55才から64才前後の中高年齢者2人が一組のペアとなって半日交替や一日交替で一人分の仕事をする制度をスタートさせている。
このシステムだと常時雇用関係とならないため、年金の減額はなく高齢者にとってのメリットは大きい。
(2) シルバー人材センター・・・地方自治体の事業団体。
収入もさることながら、健康や生きがいのため、地域社会における補助的かつ短期的仕事を請け負い、高齢者に紹介する。
会員は原則として60歳以上の健康な高齢者。
職種は建物、駐車場の管理、植木の手入れ、宛名書き、木工作業、伝票整理などが多く、報酬は比較的低い。
また、現役時代の経験、知識を活かせる職種が少なく、ホワイトカラー分野への事業拡大が課題となっている。
(3) 人材銀行(民間)・・・技能者、資格取得者を優遇する傾向があり、特技のない事務系ホワイトカラーの斡旋数は少ない。
また、あったとしても求職者が求人を大きく上回り、60歳以上の高齢者は敬遠される。
以上のように、会社を離れたホワイトカラーには、過去のキャリアをそのまま生かせる適職探しは、なかなか容易ではない。
どんな仕事でも、仕事をすることに意義がある
しかし、会社人間が、定年後の疎外感を克服し、自分を回復する手段の中で、最も速効性のある手段は「仕事の再開」であることはすでに述べた通りである。
しかし、その仕事はこれまでのキャリアからみると適職とはいえず、働く条件も大きく低下するケースがほとんどである。
その仕事をするからには、その仕事をするにあたっての新しい意義をはっきりさせる必要がある。
その意義とは、それまでの家族の生活のため、会社における出世を願ったサラリーマン現役の頃とは異なった意義、つまり、今60歳であればこれから20年以上も生きるであろうシニアライフに対する意義である。
意義といっても、さしあたっての生計費稼ぎから始まって、健康維持とボケ防止、後進教育などによる社会貢献、自己実現など千差万別である。
要は、与えられた仕事の場をその意義に向かって行動することにより、自分にとっていきいきと生きる空間とすることであり、出来ればその仕事の中にシニアとしての生きがいを見出すことである。
こうした意義による動機づけがなければ、せっかく得た職業も意にそぐわない仕事として長続きはしない。
この場合は、会社だけではなく仕事とも断絶するという以前よりもさらに深刻な挫折感に落ち入ることになる。
前向きに考え、前向きに行動することが大切である。
つけ加えると、シニアとなって得た職場で長く働くためには、新しい職場の仲間との共生の姿勢をとることが大事である。
多くの場合は、社長、幹部より年上であり、使いにくいとして敬遠される。
また、後進の指導もいいが、時には昔のやり方の押しつけになることもあり、老害といわれることにもなる。
新しい仲間と協調しあいながら、自分能力を活かしその職場に貢献することである。
以上は、何となく仕事は続けたいとする、どちらかといえば消極的な立場からの仕事探しと、その取り組み方についての検討である。
シニアライフの新しい生活スタイル
他律から自律に生活時間を変える。
そして、自律性と拡がりのあるホロニックな生き方を選択する。
この観点から、人生80年時代のシニアの生活領域を整理してみよう。
仕事も余暇も一体化する生活
シニアの生活は、従来の仕事、余暇、休養が融合し一体化するライフステージである。
表面的にみれば、余暇時間が増え、仕事の時間が減少する程度で、サラリーマン時代とはあまり変化がないようなケースも多い。
しかし、シニアライフの基本的違いは、仕事も余暇も一体化した中で、自分の意志で自分が求めている生活領域を自分で選べ、かつ、様々な生活領域の組合せも出来ることである。
つまり、延長されたシニアの長い時間を利用して、生きがい一直線の生き方、あるいは複線型、多段階型、循環型など様々な生き方を試みることが出来るということである。
シニアの生活領域を機能別に類型化すれば、次の四つの領域に区分される。
(1)経済領域…仕事である。 シニアの段階でも現実的には全てが自律的とはならない。
自律度にしたがって、シニアの仕事は次のように区分される。
a 生きがい型・・・天職、あるいはライフワークとしての仕事。
b いきいき型・・・仕事人間の延長線として、とりあえず自分を発揮できる場としての仕事。 最終的に生きがいとなることもある。
C 再生産型・・・生活のための仕事。 出来ることならば、自分を発揮できる場、さらには生きがいとしての仕事へと発展させたいものである。
(2)レジャー領域
a 能動型・・・スポーツをする、野外活動をする、海外旅行をするなど。
b 受動型・・・映画、演劇、音楽会、美術館、スポーツ見物など。
C 発散型・・・友人と酒を飲む、おしゃべりをする、ショッピングをする、ギャンブルをするなど、永続性はないが感情を発散させるレジャー。
d 休養型・・・テレビを見ながらゴロ寝で過ごす、一人で酒を飲むなど、のんびりと温泉で休養するなど。
(3)自己啓発領域
a 教養(学習)型・・・大学に再入学する、文化教室で学ぶなど。
b 趣味型・・・絵画、陶芸などの趣味、踊り・謡曲などの諸芸、園芸など。
C 研究型・・・サラリーマン時代には出来なかった長年の夢の研究に専念する。
(4)社会領域
a 地域型・・・地域におけるサークル活動、地域奉仕など。
b グローバル型・・・国際ボランティア活動、自然保護活動など。
自らが拡げるシニアの生活空間
このようにシニアライフはきわめて多彩であり、多様な広がりを秘めている。
しかし、会社一筋に「会社の仕事」中心に生きてきた定年サラリーマンにとっては、そのほとんどが未知の生活領域との出会いとなり、すぐには入って行けない。
また、会社縁に頼っていた人間関係も長くは続かない。
その結果、退屈、ひとりばっち、何をしたらいいかわからないという「無気力老人コース」に落ち入ることも多い。
こうした危機を克服するためには、どうしたらいいか。
第一は、自分が置かれている状況を正しく自覚することである。
つまり、サラリーマンにとって「定年」とはこれまでの会社を中心とした生活空間 − 「社緑」の世界が終焉する時であり、それと同時にシニアライフに向けての新しい生活空間の構築が始まる時でもある。
そして、このシニアの生活空間とは、会社空間とは異なり、自分を核として自らが主体となって拡げて行く空間でもあることを知らねばならない。
環境が根本的に変わったのだ。
第二は、過去へのこだわりを捨てて、1人の人間として自分を見つめ直すことである。
自分の特性と能力について、何をやりたいか、何が出来るかなど。
人間としての自分についての客観的な棚おろしである。
第三は、これから始まるシニアライフでの可能性の追求である。
多くのシニアについては長くて健康な時間があり、展開可能な生活領域も広範である。
その中で、自分が本当にやりたいものは何か。
自分の持っている能力、健康、時間、経済力でどこまで出来るか。
つまり、「生きがい」という目標の発見であり、それをどう実現するかという具体プランづくりでもある。
第四は、その目標に向けての自分自身の変革である。
具体的には、まず自分の態度・行動を変えることから、それは始まる。
しかし、定年サラリーマンにとって、長年の習慣となった会社人間としての態度・行動を変えることは容易でない。
商社マンから国際ボランティアへと大転身をとげた中田武仁さんのような事例はきわめて稀なケースである。
一般のサラリーマンの場合は、小さなこと、身近なことから変えて行くのが定石である。
例えば、
日常生活のパターンを変え妻との会話の時間を増やす、
一日一時間遊ぶ時間をつくるなどから始まって、1週間に1日は目標のための時間とするなど、行動の範囲を拡げて行く。
要は、消極的自己否定的な自分を、シニアライフで得られるはずの新しい生きがい実現に向けて、積極的で自己肯定的な自分に変えて行くことである。
つまり、自律性のある生き方に自分を変えて行くことでもある。
物理的にも精神的にも拡がる生活空間
シニアライフは、まず、自己の確立が始まりである。
そして、自分自身を核として、生活空間の輪は拡げられる。
その媒体となるのは、「行動」と「こころ」である。
行動という視点でとらえれば、次のようにシニアの生活空間は拡がって行く。
自分 → 妻、そして家族
→ 地域社会
→ 日本社会
→ 国際社会
→ 地域環境
一方、物理的行動空間だけでなく、人間同志の心のつながりによる精神的に空間を拡げて行くこともできる。
自分 → 心の通いあう仲間
→ 小さい仲間のサークル
→ 大きい仲間のサークル
→ 仲間同志のネットワーク(国内)
→ 国際ネットワーク
老害を排除しつつ共生を目指せ
「共生」が21世紀社会に求められる基本テーマである。
特に、21世紀は高齢者が当り前となる高齢化社会であり、若者・一般成人・高齢者それぞれに調和のとれた共生の社会システムの構築と社会風土の醸成が重要課題となっている。
ところで、共生のための社会風土醸成という視点で、現在の高齢者達の生き方をみれば、二つのグループに区分される。
第一のグループは、過去にこだわり、そこから抜けだせないグループである。
関心は主として過去のことであり、これから新しく何かをやろうとする気持はなく、過去のしがらみから抜け出せない。
このグループはさらに二つのタイプに分かれる。
第一のタイプは、「老残」組である。
過去の思い出にひたり、世間から無視されている自分の不遇をぶつぶつ嘆いているばかりという、これまでの老人に多くみられるタイプである。
第二のタイプは、「老害」組。
過去において獲得した権益にしがみつき、死んでもそれを離そうとしない。
そればかりか、すでに過去の遺物化しつつある権力を背景に威張る、自分の意見を押しつける。
常に「今どきの若い者は駄目だ」といい、若者をいびることに生きがいを感ずるようなタイプであり、生きがいの履き違えもはなはだしい。
政治家、一部の高齢経営者によく見受けられる。
このままでは、このグループは21世紀共生社会において疎外あるいは排除され、やがては「老醜」をさらすことになる。
これからの生き方を根本的に考え直す必要があろう。
もう一つのグループは、すでに述べた通り過去へのこだわりを捨てて、新たなシニアライフへのスタートを切っているグループである。
いきいきと生きられる場を発見し、充実した生活を送りながら、自分なりの生きがいを成就させることになろう。
生きがいとして、21世紀共生社会への貢献
私見であるが、これからのシニアにもっともふさわしい生きがいとは、21世紀共生社会への貢献ではないかと考えている。
現在のシニアは、戦争のない平和の時代、成長する経済、無制限に近かった地球資源の消費など、恵まれすぎたといえる環境で何十年も過ごしてきた。
しかし、これから始まる21世紀社会には、環境破壊、食品公害、急激なスピードで進展する高齢化社会のヒズミなど、あまりにも深刻な課題が多い。
今、シニアに求められるのは、恵まれた時代を過ごさせてもらった社会、地球への恩返し、あるいは環境破壊等への償いではあるまいか。
環境保護・医療等の国際ボランティア活動、介護等の社会福祉活動など、経済面、時間面での束縛から開放されたシニアライフでは、それが可能になる。
以下、シニアライフをどう展開するかの具体論に入る。
当サイトは、社会とのつながりがシニアの生きがいであると考え、仕事(ワーク)という生活領域、多彩な余暇活動の中からは、ボランティア分野、それに自己啓発分野を重点として取りあげることとする。
シニアライフは自己実現のステージ
定年退職者を含めた高齢者のことを、当サイトでは「シニア」と呼ぶことにする。
従来の日本語の観念では「高齢者 = 老人 = 病弱者」という暗いイメージがあまりにも強い。
これからの高齢者、即ち、シニアの大多数は、健康であり、経済的にも困らない。
しかも、人生80年時代の長くて自由な時間を持ち、多彩な余暇生活の展望が開けてくる。
一方、これまでの高齢者、特に定年サラリーマンの場合は、いぜん会社や仕事に精神的には呪縛された状態にあり、なかなか余暇生活に溶け込んで行けない。
また、余暇の過ごし方も未熟であり、何もすることもなく無為のうちに「老い」を迎えるケースが多いようである。
これからのシニアライフには、自由で豊富な時間がある。
この時代こそ、自分が今やりたいこと、自分がかつてやりたかったことを実現する時代でもある。
中高年サラリーマンに求められるのは、余暇に対して積極的に立ち向うことである。
つまり、長い会社生活の中で身にしみついた会社中毒、仕事中毒の呪縛から自らを解放し、余暇を中心とするシニアライフにおける自立した生き方の確立である。
束縛から解放され自分のための時間が広がる
(1)仕事のあいまではなくなった「余暇」
これから始まるシニアの時代とは、労働や家計を維持しなければならないという束縛から解放され、「余暇」が中心となる時代である。
ところが、経済優先、仕事中心の猛烈社員時代を長く過ごしてきた日本の中高年サラリーマンにとって、この余暇中心の時代が大の苦手なのである。
この「余暇」という言葉は、よくみると「余ったひまな時間」ということになる。
事実、日本語の辞書をひいてみると、
「仕事などのあいたひまな時間」(日本語大辞典:講談社)、
「自分の自由に使えるあまった時間。ひま、いとま、レジャー」(広辞苑:岩波書店)となる。
つまり、これまでの日本語の観念では、余暇とは仕事があっての余暇であり、たまたま仕事の合間にポッカリと空いた時間であり、自分にとって自由が許されるごくわずかの時間ということになる。
そこで、仕事一筋に生きてきたかつての猛烈社員にとって、仕事がなくなり余暇だらけになる定年後の時間をどう過ごせばいいかわからないといった事態がおこる。
似たような日本語に「余生」という言葉もある。
人生50年時代の観念であり、労働に人生のエネルギーを使いはたし、残されたわずかな時間を、ひっそりと静かに「隠居」として過ごすというものである。
このいずれも、人生80年のこれからの時代にはなじまない古い観念である。
しかし、かつての仕事中心人間の多くは、依然この観念に呪縛されたままである。
これから始まる長いシニアの時間を充実したものとするためには、自分を仕事の呪縛から解放し、自分の視野と行動を余暇生活に向けて拡げて行くことが大切といえる。
シニアライフは自由時間と自律の時代
こうした呪縛から解放されれば、シニアの時代は、時間は自分のためにある時代、「自由裁量時間」の時代となる。
自由裁量時間とは、時間をどう使うかを自分で決め、自分の価値感にしたがって生々と生きて行く時間のことである。
この時間が増えるこれからのシニアには、従来の余生とか余暇の観念ではとらえきれない新しい拡がりのある人生が期待できる。
しかも、多くのシニアには、健康であり、そして長い時間が残されている。
こうして、以前に提言した「ホロニック型」の生き方は、これからのシニアの時代には、多くの人にとって可能となる。
レジャー、スポーツ、学習、研究、趣味活動、ボランティア活動、そして「仕事」(労働ではない)など、自分なりに選択し行動して行ける時代である。
なお、ここで「仕事」と「労働」とあえて区分したことについては、次のような意味がある。
労働とは「レーバー」(labor)であり、肉体労働であれ精神労働であれ、経済生活維持のため会社等に束縛された自律性のない仕事のことをいっている。
これに対して、ここでいう仕事とは「ワーク」(work)であり、自分のために自分の意志で選択する、生きがいにもつながる仕事、つまり自律性のある仕事を意味している。
これからのシニアには、余暇も仕事(ワーク)が融合した、自律度の高い拡がりのある人生の選択が可能である。
もちろん、労働の束縛からの解放度、生活の自律度には個人差がある。
定年後も生活維持のため働きつづけるシニアもいる。
しかし、年を加えるにつれて生活時間の自由度は増すはずである。
また、ゆとりのあるシニア生活のためには自律度を高める努力も同時に必要である。
現役サラリーマンとホロニックな人生を選択するシニアとの基本的な違いは、生活時間の他律性と自律性にある。
生きがいをどう見つけるか
会社勤めから解放され、自由にあるいは悠々自適の生活を送るはずだったが、いざ解放されてみると何をしたらいいかわからない、これからの生き甲斐がわからないなど、充たされぬ思いを抱いているのが、かつての会社人間の大半ではなかろうか。
価値感が180度転換した第二次大戦後の復員軍人のようなものである。
経済面ではとりあえず心配がない最近の定年退職者の、典型的行動パターンは次のようなことになる。
まず、無事会社を勤め終えた記念と長年の協力への慰労にと夫婦で温泉めぐりや海外ツアーなどの旅に出る。
次は図書館通いである。
他に行くところがないからである。
毎日通うのも気づまりであり、地域のサークル活動に入ってみる。
生涯教育とか住民サービスということで、役所により高齢者のために様々なカリキュラムは用意されている。
しかし、民謡、踊り、詩吟、書道、俳句など、お年寄りはかくあるべきだという古い発想に基づくお役人のお仕着せメニューであり、魅力はほとんど感じられない。
入ってみても、老人達の仲良しクラブであり、講師と常連が幅をきかせており、新参者はなかなか入って行けない。
老人クラブ主催の芸能大会、ゲートボール大会も同じパターンであり、そのためのサークルも同じ雰囲気である。
といって、自ら魅力ある活躍の場を探すのもおっくうだ。
かくして、ヌレオチバ、粗大ゴミといわれ、家庭にあっても居心地の悪い存在になりかねない。
こうしたかつての会社人間の現状をわかりやすくいえば、「会社人間 − 会社=0」ということである。
会社中心主義の結果であり、自分自身は会社の中に埋没、1人の人間としての自分の場づくりを怠った悲劇でもある。
だが、何も悲観するに当たらない。
人生80年時代、ホロニック型の生き方がこれからは可能だからである。
もう一度「会社人間」を考えなおしてみよう。
実は「会社人間=(会社 + 仕事)人間」であったはずである。
会社が消えても「仕事人間」は残っているのだ。
現に、60代のメンバーの集まる同窓会では、元気溌刺の中小企業社長、経営コンサルタント、税理士、学者などの現役組と、生彩さを欠いた定年退職の余生組とに分かれるという。
つまり、仕事が生きがいであった人が多いのだ。
そこで、定年後の目的を失った、あるいは自分が生々と過ごせる場を失った、かつての会社人間は、仕事探しから自分の生きがいづくりを始めてはどうかと提案したい。
少なくとも、つい昨日までの仕事人間が再び生きかえる場はそこにある。
当然、かつての「社命」「ノルマ達成」「昇進・昇格」「野心」などのギラギラしたものは仕事の目的ではない。
自分のシニアライフを少しでも意義あるものにするためであり、動機もいろいろあろう。
「小遣い稼ぎ」「健康維持」「ボケ防止」から始まって「後進教育」「社会貢献」「自己実現」に至るまで幅は広い。
その中で、自分の天職でありこれからの人生の生きがいとなる仕事を発掘する場合もあろうが、多くはかつてに比べると、報酬や地位も低く従来の観念に従えば「つまらない仕事」かもしれない。
しかし、新しい仕事をすることを通じて新しい仲間づくりも出来るし、新しい生きがいが見つかることもある。
少なくとも行き場を失っているかつての会社人間にとっては、自分本来の生きる場所をみつけるまでの緩衝地帯とはなる。
とりあえず自分の居場所を確保しつつ、その間に仕事中心からの脱皮と新しい生きがいの発見に努めることである。
こうしたシニアの生きがいづくり、シニアの仕事探しについては、別のところで具体的に検討する。
中高年会社人間二つの悲劇
中高年サラリーマンに悲劇が訪れたとすれば、それには二つの要素がある。
一つは定年による会社生活から余生への移行における断絶、もう一つは日本型経営の終焉による幸福への人生方程式の崩壊である。
定年による断絶の悲劇
会社人間として直線型人生コースを歩んで来たサラリーマンが、会社を離れることによりもたらされる課題である。
(1)断絶の二つのパターン
定年退職後、人生の新しい展開が出来ない断絶派サラリーマンに二つのパターンがある。
第一は「燃えつき症候群」である。
会社を離れることにより、生 きる目的と行き場を失い、毎日を無為と退屈のうちに過ごす人、例えば弁当を持ってデパートに通う人などである。
やがては、「粗大ゴミ」、「ヌレ落ち葉」などといわれるようになり、「定年後離婚」も噂されるようになる。
第二は「会社にしがみついていたい」グループ。
高年齢者雇用開発協会の調査によると、中高年ホワイトカラーの7割弱が定年後も引き続き仕事を続けたい、それも4割の人は現在の会社で働きたいとしている。
勤務形態では6割が正規社員、5割がフルタイム希望である。
定年後もいぜんとして、会社にしがみついていたいという意識はきわめて強い。
しかし、中高年ホワイトカラーの再就職事情はきわめて厳しい。
このグループは仕事がなくても背広とネクタイを着用して最初は図書館などに通っているような種族であり、やがては「燃えつき症候群」に仲間入りする。
(2)会社を離れての生き方を知らない
どうしてこうまで会社を離れずに仕事を続けたいのか。
一つは、会社を離れることへの恐怖感であり、会社以外の世界は知らないという未知の生活に対する不安感でもある。
30年以上も勤めあげた会社では、会社のルールに従って仕事に没頭してさえおれば、適度の収入と地位も得られ、今日は何をしようかと迷うようなこともなかった。
ところで、いざ、定年となり1人になってみると次に何をすればいいかがわからない。
永年の疲れもどっと出て何をする気力も失ってしまう。
つまり、自分1人で考え自分1人で行動しなければならなくなることへの恐怖感と云いかえることもできる。
二つ目は、遊び方を知らないことだ。
「遊ぶ」ことがあっても、それは次の日の仕事のためであった。
せわしく動き働らく習慣が骨の髄まで染みついており、遊ぶことには罪悪感が伴う。
これから始まる仕事がない長い時間をどう過ごしたらいいかがわからないという恐怖感でもある。
三つ目は、稼がねばならない義務感から解放されないことだ。
日本は世界でも有数の給料大国だが、物価水準、特に住居費の高さを考えると家計水準は高いとはいえない。
老後の生活をどう維持するか、寝たきりになった場合にどう備えるか、出来るならば子供にもしかじかの財産は残してやりたい。
また、もう一方には「ボーとしている」ことは罪悪であり、たえず稼いでいなければないとする働きバチ・日本人の心理的側面もある。
(3)会社人間のぜい沢な悩みであった断絶の悲劇
こうした会社人間サラリーマンの定年後の生活への不安は、少くともこれまでのところ杷憂であったようだ。
ここに定年前・定年後のサラリーマンの生活と意識についての興味ある調査がある。
東京都老人総合研究所が、同一サラリーマンに対して行った15年(1975年、85年、90年)にわたる追跡調査である。
職業生活面では、正規社員、フルタイムという希望はあまり満たされておらず、嘱託やパートなどの非正規社員、パート、30時間未満(1週間に)の短時間就業者が増加している。
しかし、余暇時間のすごし方では、50才代では余暇の第1位であった「ごろ寝・休養・テレビ」が激減している。
それに代って、趣味・スポーツ、学習・勉強・読書で過ごす時間が増加している。
つまり、余暇時間が多くなった定年後の生活に適応した有意義な生活を享受しており、定年による断絶の悲劇は感じられない。
そして、定年前の心配と定年後の困難についての意識は大きく変っている。
定年前には78%の人が定年後についてなんらかの不安をいだいていた。
特に心配だったのは、生活費と健康についての不安であり、この二つで全体の3分の2と占めていた。
ところが、定年後に実際に困難を経験した人は48%にすぎない。
生活費と健康についての不安はさほどなく、多くの人は困難を経験せずにすんでいる。
代って、意外に困難であったのは再就職である。
このように、定年前の懸念は実際には杷憂に終ったケースはこれまでには多い。
ただし、これは会社が定年後までの社員の生活を保証できるかにみえた日本型経営最盛期頃に定年を迎えたサラリーマンのケースである。
どうも、定年による断絶という不安は、サラリーマン天国の安穏で良き時代の頃にはそれだけを心配しておればよいというぜい沢な悩みにすぎなかったようである。
これからをどう生きるか、中高年サラリーマン
活力あるシニア時代が始るというが、中高年サラリーマンにとって現在の状況は悲劇的にも見える。
日本型経営は崩壊し、リストラの嵐の中で自分はこれからどうなるか、退職金や年金も予定通りもらえるか、自分の老後については不安だらけである。
だが、本当に大変なのは次の世代である。
今、50歳以上のサラリーマンの場合は悲劇的といっても、定年まで、そして定年後も安穏と生きられるはずであった直線型ともいえる人生の方程式に狂いが生じたこと、それに対する戸惑いと不安といったレベルの悲劇といっても過言ではない。
狂いが生じたといっても既得の権利の多くは守られ、少くとも最低限以上の生活は保証されている世代である。
確かなことは、大多数の中高年者は人生80年時代の長い時間をこれからも持つということである。
しかも、健康にも恵れる。
この健康で、かつ長い時間はこれからの人生に様々な可能性をもたらしてくれるはずである。
チマチマと既得の権利に寄りすがって余生として過ごすだけが人生でない。
そして、時代は変った。
会社 → 定年 → 余生という直線型の人生に代って、循環型あるいは多段階・複線型の生き方も求められるようになった。
これからの人生を自ら本来求めているものの実現につとめる。
生産活動、ボランティア活動を通じて会社や次世代への貢献を続けて行く。
こうした活力あるシニアの活動が、バランスのある社会システムの構築と21世紀の超高齢化社会へのソフトランディングの基盤となるといえよう。
シニアのゆとりのある経済生活
平均像として 現在の高齢者は全体としてみれば、経済的には不十分だとはいえない。
もちろん、平均像としてであり、低所得老人、要介護老人とその家族の経済問題、介護問題はやはり深刻だ。
低くはない高齢者の所得レベル
60歳代の高齢者世帯の平均所得は615万円で、これは50代、40代に次ぐ所得水準にある。
また、世帯人員1人当りでみれば214万円と全体平均211万円を上回り、50代に次ぐ高水準にある。
65歳以上世帯でみても、1人当り187万円で、子育ての負担の大きい30代の181万円よりも高い水準にある。
以上の結果は、「平成6年国民生活基礎調査」(厚生省)によるものである。
また、平成5年の同調査によれば、母子家庭の1人当り所得は99万円にすぎない。
こうした母子家庭、30代世帯、40代世帯は食べざかりで教育費負担も大きい子供を抱えており、それに比べると高齢者世帯はかなりの経済水準にあり、健康であり、欲さえ出さなければ安定した生活は保証されているといえる。
ただし、これは「平均像」としてである。
低所得層も多い高齢者世帯
しかし、問題は高齢者世帯の所得にはバラツキがあり、しかも低所得層の比重が高く150万円未満の層が30%近くもいる。
厚生省の上記調査によれば、高年者世帯の低所得層の累積百分率は次のようになっている。 (注)()内は全世帯平均
50万円未満 3.6%(0.9%)
100万円未満 15.7%(4.0%)
150万円未満 28.9%(8.1%)
これらは、公的年金等の恩恵を十分に受けることの出来ない不遇ともいえる高齢者世帯であり、その中には無職世帯、要介護世帯が多いはずだ。
これらの層が社会福祉の重点的対象になるべきである。
中長期的には期待される中高年労働力
中長期的にみると日本の労働力市場は大きく転換する。
若年労働力の激減で従来の生産年齢人口は伸び悩み、高齢就業者にとっては有利な状況になってくる。
厚生労働省は2000年と2010年の労働力需給を次のように展望している。
2010年と1990年を対比すると、労働力人口全体ではほぼ横ばい。
しかしその年齢構成は大きく変る。
15〜29歳の若年労働力は19%ダウンの1183万人となり、全労働力に占める比率も23.1%から18.2%と大幅にダウンする。
30〜54歳労働力も1.6%のスローダウン、構成比も1.8%ダウンの54.9%となる。
そこでこうした生産年齢労働力の減少をカバーするものとして期待されるのは中高年労働力ということになる。
厚生労働省の展望によれば、55歳以上の労働力は1990年の1,292万人から2010年は35%アップの1,744万人となり、その構成比も20.2%から26.9%とウエイトを増す。
また、若年労働力に対する比率も1990年の88%から2010年は147%と立場は逆転する。
中高年労働力が大事になる時代の訪れである。
以上のように、高齢化社会は必ずしも暗い面ばかりではない。
健康で元気なシニアが介護を必要とする老人よりもはるかに多い。
また、この人達は就労意識も高く、これからの社会はこれらの人達の活性化を求めている。
活力ある高齢化社会は期待できる。
高齢化社会は、元気シニアの時代でもある
健康であり貧しくもない多数の高齢者が存在する。
そこに着眼することが、21世紀に向けての中高年者の今後の生き方、深刻化する高齢者問題解決のいと口がありそうだ。
「老人」ではとらえきれない現代の高齢者
最近、街を歩くと最も目につくのは、車にも乗らずにリュックを背にさっそうと閥歩する中高年の女性達、その中には相当の高齢者もいる。
こうした、彼女等には「お年寄り」という言葉はふさわしくない。
後程、統計面からも実証するが、高齢者の多数は健康であり、経済的にもゆとりがあり貧しくもない。
これから始まる高齢化社会は、ねたきり・痴呆などの要介護老人もいるが、それよりも多数の「健康シニア」がいる社会なのだ。
高齢者とは「老人」であり「弱者」だというイメージだけではとらえきれないものに変っている。
ところが、世の中一般では、65歳以上の高齢者を一把一からげに老人としてとらえる慣習がある。
例えば、厚生労働省の人口統計は65歳以上を一括して老齢人口としている。
その結果、今は老人1人の福祉費用を5人の成人で負担しているが、高齢化社会のピーク2045年には2人で負担しなければならなくなる。
現在は子供一人に老人一人という社会だが、やがては子供一人に老人一人という老人社会がやってくるという老人社会の暗いイメージが先行する予測が出てくることになる。
高齢者の実態も、それを取り巻く環境も大きく変化している。
また、今後も変化して行く。
したがって、マクロとしての高齢者像でなく、元気シニアも含めた高齢者の具体像を以下において分析するものとする。
中高年社会となる日本
(1)人生80年時代への突入
日本人の平均寿命は男性76.5歳、女性82.9歳。
世界でも有数の長寿国となり、人生80年時代を迎えることとなった。
この平均寿命の伸びは世界にも類例のない急連なものであり、第二次大戦直後の1947年に比べると男性で27年、女性で29年もの平均寿命の伸びである。
また、日本経済が成長軌道に乗り、いわゆる55年体制が始まった1955年に比べても、それぞれ13年、15年という寿命の伸びである。
こうした平均寿命の伸びは、高齢者がこれから過ごすいわゆる「第二の人生」の期間が、大幅に伸びたことを意味する。
そして、こうした急激な高齢者とその寿命の伸びは、これまでの老人に対する通念や社会制度の抜本的見直しを迫るものなっている。
また、高齢者自身もまた延長されたシルバーライフをどう有意義に生きるかの検討が重要となってくる。
(2)中高年者は当り前の時代へ
平均寿命に関連して注目されるのは「中位数年齢」の高年齢化である。
中位数年齢とは全人口を年齢順に並べた場合、その真ん中にあたる人の年齢のことである。
これが、1995年には39.6歳、2000年には40歳を超え、2030年には 47.6歳になると推計されている。
中高年層が過半数を超える時代の到来である。
この中位数年齢の推移をたどれば、極めてドラスティックである。
戦後まもない1947年では22.1才、それから28年後の1975年(昭和50年)になってやっと30.6歳。
ごく最近までは若い人が人口数においても圧倒的な「若い人の時代」であったのだ。
それが、これからは40才以上の中高年層が、人口数では多くなる。
つまり「中高年者は当り前の時代」が始まっているのである。
そこで問題にしたいのは、中高年者に対する従来の概念である。
40歳を過ぎた中高年者はもう能力は伸びない。
65歳以上の高齢者は 非生産人口であり、60歳を過ぎれば年金受給の対象になる等々。
人口の半分を超えようとする中高年者を、従来の概念では一括して厄介者扱いにしようとしているようにも見える。
中高年になっても、能力はまだまだ伸ばせるし、60代、70代の高齢者の多くは健康であり就労意識も高い。
一概に厄介者扱いにするわけにはいかない。
・中高年者の「健康シニア」としての意識改革と、自立・自助に向けての努力
・それに対応する社会システムの見直し
・中高年者に対する新しい概念での対応などが、高齢化社会活性化のためには不可欠といえる。
ちなみに、アメリカの「人口問題研究エイジウェーブ協会」は50歳以上の消費者を次のように三つ区分して分析を行っている。
・第一グループ〜50〜64歳 中期成人年代
・第二グループ〜65〜79歳 後期成人年代
・第三グループ〜80歳以上 老齢年代
以上のように80歳未満の人々は老齢者とみなしてはいない。
活力あるシニア時代の始まり
世界に類をみないあまりにも急速な高齢化社会の到来。
遠からず年金制度、医療保険制度は破綻する。
介護問題はどうなるか。
マスコミはこぞって、高齢化に伴う社会不安をクローズアップしている。
高齢化社会の訪れは本当に悲劇なのか。
しかし「高齢化社会」=「老人社会」とはならない。
この実態について、まず冷静に分析しておく必要がある。
高齢化は確実に進行し、問題は深まる
まず、高齢化社会の到来について、厚生省人口問題研究所による将来人口推計から、その実態を概観しておく。 それによると、
(1) 65歳以上の「老年人口」は今後25年間増え続け、2020年には1995年の1.5倍の3.270万人に達する。
(2) それに伴い老人比率は1995年の14.5%が2020年には25.5%となる。
(3) そして、生産人口(15歳〜64歳)に対する老年人口の比率、つまり、従属人口指数は20.9%から43.2%に上昇する。
(4) さらに2020年以降も15〜64歳の生産人口は減少しつづけるから、2045年には老人人口比率28.4%、従属人口指数は50.9%となる。
(5) 即ち、1995年には1人の老人を5人の生産人口で支えていたものが、2045年には2人で支えねばならないことになる。
しかも、この生産人口には学生や、現行では定年の60〜64歳人口をも含んでいる。
こうして、高齢人口の増大は老人には年金受給についての不安、若者にはあまりにも重い税負担感によるいらだちという社会問題をもたらしている。
さらに、この間題を暗く見せているのが、ねたきり老人、痴呆性老人の問題である。
日本大学人口研究所ではその数を次のように推計している。
(1) ねたきり老人は、1995年の100万人から30年後の2025年には2.3倍 の229万人に増える。
(2) 痴呆性老人は125万人から2.6倍の322万人と大幅に伸びる。
(3) この背景となるのは80歳以上の老人の急増である。
同期間で80歳以上人口は2.7倍となり、それに対応して80歳以上のねたきり老人は2.8倍の135万人となり、全ねたきり老人の59%を占めるようになる。
また痴呆性老人は3.0倍の238万人、全体の74%を占めるようになる。
こうした老人の介護をどうするか。
これまた、高齢化社会問題を深刻なものとしている。
はたして、現行の社会保障システムで、年金、医療、介護、福祉を継続して行けるか。
その負担をどこに求めるか。
このジレンマの解決はほとんど不可能のようにも見受けられる。
これが、やがて老齢期を迎える現在の中高年層にとっての最大の不安となっている。
「仕事」中心からの脱皮
従来の世界は会社支配の世界であり、教育、レジャー、休養も会社から与えられたり、会社のためという視点で行われることが多かっ た。
この世界では、余暇は必ずしも自分の時間ではなく、仕事の合間の時間にすぎなかったのである。
当サイトでは、これからの企業社会において会社ぶら下がり型社員は生きて行けないとして、中高年サラリーマンに「会社」依存からの脱皮と、ビジネスマンとしての自立を求めた。
そして、人生80年時代のシニアライフを迎えるにあたって、さらに二度目の脱皮が必要になってくる。
それは、「仕事」からの脱皮であり、「ホロニック型人生」への転換である。
「時間」が自分のものとなった現在、レジャーも学習も社会貢献も、そして仕事も、自分自身の価値観によって選べる。
そして、時には段階を迫って、時には平行して様々な生き方をしながら自ら目指すものを追及して行くのがホロニック型の人生である。
「仕事」はもう全てではない。
もちろん、シニアの仕事そのものを否定するものではない。
生計のために仕事が必要な時もある。
天職にたずさわり、仕事を一生の生き甲斐としている場合もある。
また、次に示すように、定年になってもなかなか自分としての生き方がわからない、かつての「会社人間」が自分の生き甲斐探しを、まず新しい仕事への参加から始めるようなケースもあろう。
ただ確かなことは、天職を発見し仕事一直線の生き方が出来る人はごく稀な幸運な事例であり、多くの人には「仕事中心」からより幅広い人間への脱皮が必要といえよう。
中高年サラリーマンの能力開発
新しい制度に移行する過渡段階として現在の中高年層の能力開発についても言及している。
その骨子は、能力再開発と自助努力への支援、生涯設計のための年代別教育である。
a 自己能力の棚卸し
b 能力再開発教育……専門能力向上教育、職種転換教育、新技術、知識習得教育など。
C 能力発揮の環境づくり……教育環境の整備、管理者の意識改革、相談員制度、ストレスマネジメントの実施など。
d 生涯設計のための年代別教育……40代半ばから3〜5年間隔で面接と退職準備教育、定年前の2年については各年毎に面接と退職直前教育を行う。
なお、再就職者、出向者のための教育コースも準備する。
なお、主として中高年者の雇用調整を目的とした、早期退職・転進支援制度、中高年再雇用制度、役職定年制度などの新人事システムを尊大する企業が増加しているが、これらについては別途説明するものとする。
一般中高年サラリーマンにとって、会社はますます住みにくいところへと向かっていることは間違いない。
日本の人事制度は今後どう変わるか?
日本の人事諸制度はこれからどうなるか、経営者サイド、従業員サイド、有識者を含めて様々な角度からの意見・提言が寄せられている。
最終的に落ちつくのまでには数多くの試行錯誤を必要としよう。
現段階において確かにいえることは、これまでのいわゆる「日本型」雇用制度・賃金制度等は抜本的な見直しに迫られており、人事システムにドラスチックな変革が起こるであろうということである。
例えば定年制についてみると、それは形として残ることはあっても、その恩恵に浴すのは厳しい条件をクリアした少数の限られた社員を対象とするものであって、ほとんどの社員は定年までの安定したサラリーマン生活は保障されなくなる。
こうした人事破壊は今後急速に進行するものとみられる。
数多くのこれからの日本における人事システムへの提言の中から、最も代表なものの一つとみられる日経連「高齢化問題研究委員会報告」によるものを次に紹介しておく。
�@ 将来の雇用形態(三つに区分する)
a 長期蓄積能力活用型グループ
b 高度専門能力活用型グループ
C 雇用柔軟型グループ
従来の定年制に近いのは、aの長期蓄積能力活用型だけであり、b、Cは有期の雇用契約となる。
�A グループの対象と処遇
a 長期蓄積能力活用グループ……期間の定めのない雇用契約であり、福祉面においても生涯総合施策が受けられる。
対象は管理職、総合職、技術部門の基幹職であり、前項で示した経営の中核となるコア社員がこれにあたる。
賃金は職能給で月給制が年俸となるが、昇給、役職昇進、職能資格の昇格はある。
退職金・年金はあるが、企業への貢献ポイントによる査定となろう。
b 高度専門能力活用グループ……有期雇用契約であり、専門職(企画・営業・研究開発部門など)が対象となる。
賃金は業績に基づく年俸制であり年度毎に契約を更改するプロ社員グループでもある。
賞与は明確な成果による配分となり、退職金はない。
専門職についてはプロ化と同時にその流動化が進むことになる。
C 雇用柔軟型グループ……一般職(総務・営業・工場部門など) が対象であり、有期雇用契約で、短期であることも多い。
職務による時間給制で、賞与は定率、退職金はない。
以上はモデルケースとしての提案であり、もちろん各グループ間の移動はありうる。
国際化の時代…、雇用の仕組み、賃金の仕組みが大きく変わった
年功賃金は日本固有のものだ
中高年の人々には冷たい事実を示すことになる。
年齢別賃金カーブの国際比較を行ってみると、年齢と共に賃金が上昇しているのは日本だけである。
まず、生産労働者についてみると、50歳まで上昇カーブを描くのは 日本だけで、イギリス、フランス、ドイツは30代前半まで。
特にアメリカは上昇するのは20代後半までであり、30歳以降は横ばい〜スローダウン傾向となる。
国際的には年功についてはあまり考慮されていない。
管理・事務・技術労働者、いわゆるホワイトカラーについても、生産労働者ほど極端ではないが、全く傾向は同じである。
日本の場合は 年齢に伴って上昇を続け54歳でピークを迎える。
これに対し、アメリカ・ドイツ・イギリスは40代前半、フランスは40代後半でピークとなる。
国際化の時代…、国際化の影響は何も国際価格への平準化を合言葉とする価格破壊ばかりではない。
人事システム、賃金システムなども 国際競争に括抗するためにはこれまでの制度が崩壊しても不思議はない。
国際的に見ると日本における年功序列制度はむしろ異常ともいえる。
「日本的経営」の栄光はいっとき
歴史が浅い日本的経営と人間尊重
従業員中心の経営として世界にもてはやされた日本的経営がこれまで成功したのは、国際環境・経済環境の特殊性によるところが大きい。
いわゆる「日本的経営」の原型が出来たのは、敗戦後の混乱から経済復興の過程の中であり、その背景には第二次大戦中の産業統制、戦後の産業復興という企業政策がある。
それが全産業に波及、日本経済成長の原動力となった。
日本的経営もまた55年体制の産物の一つであったといえる。
しかも、こうした日本的経営が注目され評価されたのは、高度成長の1970年代に入ってからである。
それまでは、むしろ日本的経営の持つ非合理性・非近代性はむしろ批判の対象でもあった。
そして、バブル崩壊、55年体制は崩壊、神話化されていた日本的経営は、一転して全面的に否定しようとする風潮にさえある。
日本的経営とは何だったろうか?
ここで、その特性を要約しておくこととする。
�@ 日本的経営の根底にあるもの
・人間尊重の経営
・長期的視点にたつ戦略経営
�A 人間尊重・従業員中心の経営
・終身雇用制度
・年功序列賃金制度
・企業内労働組合
�B マネジメント特性 ⇔ アメリカ対比
・会社への帰属(全人格的かかわり) ⇔ 会社への部分的・分散的かかわり
・終身雇用制 ⇔ 短期雇用制
・専門化しないキャリア ⇔ トキャリアと進路を専門化
・集団的意志決定(全社の思想統一) ⇔ 個人的意志決定
・共同責任 ⇔ 個人責任
日本経済と日本企業は永遠に成長し続けるという幻想が醒めた現在、こうした日本的経営手法はその実現の困難性、人間尊重といいながら個人を無視する会社中心志向などの矛盾点が明らかになってきた。
会社はサラリーマンにとって終生の安住基盤ではなかった
自分の一生が保証されると信じ一生懸命に勤めあげてきた「会社」は、すでにあなたに「気楽なサラリーマン稼業」を一生保証するだけの力はなくなっている。
そもそも「日本的経営」が成り立ち評価されたのは長い歴史の中では束の間のことである。
それも右肩上がりの高度成長経済、対応する人手不足、東西冷戦構造の谷間に日本が存在していたという奇跡ともいうべき特殊環境がそろって始めて成立しえたのである。
経営環境が厳しくなった現在、多くの企業は「このままでは人件費が会社を破滅させる」として、一斉に雇用制度・賃金制度の改革や中高年対策などに乗りだした。
象徴的なのは金融機関のリストラである。
住専問題を契機に人事制度改定にとどまらず人員削減、給与水準の見直しに迫られている。
これは、中小金融機関だけの問題ではなく最近の日債銀のリストラにみられるように大手銀行といえども余断を許さない情勢になっている。
優遇されすぎたサラリーマン天国崩壊の一例である。
日本のサラリーマンにとって恵まれすぎた時代は、実は長い歴史の中ではほんの一時期に過ぎなかったのである。
休まず、遅れず、働かず、会社に行ってさえおけば、定年までの給料と退職金が無事いただけるという気楽なサラリーマン稼業はすでに過去のものとなっている。
大変な時代、中高年サラリーマンに悲劇が訪れた
日本型経営は崩壊しつつある。
中高年サラリーマンは、従来からの予定通りのコースで定年まで会社に勤められる保証はなくなった。
また、経営システムの変革は、単なる調整役にすぎなかったホワイトカラー管理職の多くを、将来、不要なものにしてしまう。
一方、超高齢社会が現実のものとなり、やがて自分もその一員となる。
ところが、その時になろうとする今、定年まで勤められる保証はなく、退職金、年金も計算通りもらえるかどうか、老後の生活設計は大きく狂いそうだ。
加えて、介護問題、ポスト親孝行時代の今、子供に老後の面倒は期待できない。
会社に一旦勤めたら、墓場まで安定した生活が保障されると信じた「幸せの方程式」が、日本的経営と共に崩れようとしている。
中高年サラリーマンにとって、現在も将来も不安だらけという大変な時代が始まったのである。
これまで、会社一筋、仕事一筋に生きてきた結果の報いは何だったろうか。
空しさと無力感、中高年サラリーマンは悲劇の主人公のようにみえる。
当サイトも、この「大変な時代」が始まったという認識からスタートしている。
そして、こうした時代をいかに生き抜いたらいいかという切実なテーマに基づいて、次のような構成をとった。
一つはは、これまで会社一筋に生きてきた中高年社員のこれからはどうなるか、
自分のビジネスライフを全うするには、どう自分を革新し、どう行動したらいいかというテーマの追求である。
現役中高年サラリーマンが主対象となる。
二つ目は、人生80年時代、会社あるいはビジネス最前線を退いてもなお長い人生がある。
余暇下手ともいわれる現在の中高年サラリーマンは、どうしたら生きがいのある充実したシニアライフを送れるかというテーマの追求である。
現役・OBを含めた幅広いシニア層を対象としている。
確かにいえることは、取り巻く環境は、大きく変わろうとしている。
そして、その変革は中高年サラリーマンの多くには悲劇的なものとして受けとめられているのではなかろうか。
大変とは「大きな変革」、悲劇とはその変革に対応できない自分にある
大変という言葉、文字通りに解釈すれば、大きな変化、つまり大きな変革ということになる。
しかし、外部環境の変化はそれがいかに大きな変革であろうと一つの現象にすぎないものであり、それ自体が悲劇なのではない。
問題は、その変化を予見できず、変化に対応して行動がとれない自分にあり、それが悲劇なのである。
考えて見れば、戦後日本の経済成長、55年体制、それに基いて、会社に勤めると老後までの生活が保証されるという雇用制度は、長い歴史と地球規模の視点からみれば、束の間の恵まれすぎた現象ともいえる。
その「束の間の幸せの方程式」を永続する当然の権利だとかたくなに信じ、さらにはその既得権利にしがみつこうとしている。
しかし、これからの時代環境はそれを許さなくなる。
老後の問題にしても同様である。
高齢化社会の到来は当然わかっているが、自分にその時が迫るまで真剣に考える人は少ない。
いざ、その時になってみたら、日本的雇用制度は崩れ定年まで会社にいられるかどうかわからない、退職金、年金も含めた老後の経済生活の計画も大きく狂いそうだ。
さらには、会社を離れた後の余暇時代をどう上手に過ごすか、新しい人間関係をどう築いたらいいかがわからない。
こうした中高年会社人間の悲劇的状況をつくりだしたのは、せんじつめれば、「会社」、「仕事」という世界へ安住しすぎていたことにあるといえる。
その中に居れば、多少気を遣うことがあっても、安定した少なくとも人並みの生活は送ることができた。
外に出ろといわれてもその自信もないし、外に出ることはこれまで一生懸命積み上げてきたいろいろな権利を捨てることにもなる。
会社のため、仕事のためといっては、家庭のこと、仕事以外のわずらわしいことにかかわれないことの言い訳も出来る。
皮肉な見方をすれば、多くの中高年サラリーマンにとって、会社と仕事とは甘えと逃避の場でもあり、それによる束縛と引き替えに自分の幸せを自分の責任ではなく会社に委せきって安心しておられるという心地よいものであったのだ。
このサラリーマン安住の基盤が、今崩れようとしている。
会社を超える、仕事を超える
これまでは、経済が成長する、会社もそれにつれて発展し永続する。
黙っていても、その中に入っていれば幸せは訪れた。
他力本願の幸せである。
しかし、その基盤の崩れた今、「勤め人」サラリーマンにも求められているのは、「自立」である。
このサラリーマン自立のためには、こえなければならない二つのハードルがある。
第一は、ビジネスライフにおける「自立」である。
そのためには、「会社を超える」ことが必要である。
会社を超えるということは、会社をやめろという意味ではない。
これからの企業社会は、会社中心からビジネス中心に変わる。
年功はもう関係なく、ビジネス能力と企業に対する貢献に基づいたシビアな評価・待遇となる。
加えて、情報化の急速な進展に伴い企業の求める社員像も変わり、人材の流動化も進む。
極言すれば、会社にぶら下がって生きてきた中高年サラリーマン、特に年功のほかには取柄のない管理職の多くが不要となる時代が必ずやって来る。
したがって、中高年サラリーマンに今求められるのは、ビジネス環境の変化に対応する能力開発であり行動革新である。
それによって、現在の会社だけでなく、外に出ても通用する能力と行動力、即ち、今の「会社」をやめても自立できるくらいの自分を確立することである。
現在の中高年サラリーマンが、ビジネスライフを全うするためには、新しく生まれ変わるくらいの決意での自己革新が必要といえよう。
第二は、シニアライフにおける「自律」である。
仕事中心で生きてきた中高年会社人間には、乗りこえなければならない「仕事」(労働)というハードルがある。
この仕事には二つの種類がある。
一つは、会社等に束縛されて仕事をするレーバー(労働)であり、もう一つは自らの意志で選択するワーク(自分本来の仕事)である。
当然、ビジネスライフにおいてもワークへの脱皮は望まれる方向であるが、家計維持等の束縛から解放されるシニアライフにおいて、より現実的なものとなる。
かくして、会社から解放され、労働からも解放されるシニアライフにおいて、われわれは余暇という自分の自由になる、つまり「自律」できる時間を豊富に持つことになる。
加えて、これからのシニアの多くは健康であり、カゲリが出てきたとはいえ30代、20代の若い世代に比べると経済的にも恵まれている。
こうした恵まれた条件下で、自分のやりたい仕事(ワーク)、社会活動、学習・研究活動、レジャー、スポーツなど多彩で生きがいのあるシニアライフを送ることができる。
ただ、現在の中高年会社人間は、会社中心、仕事中心思考で自分で自分を束縛しており、なかなか自分を余暇生活へと解放せず、その準備をしていない。
いかに早くこの呪縛を解き素直に余暇社会に参加するかが課題といえよう。
「定年」のない時代が始まっている
当サイトでは、自立を求めて厳しく生きなければならないビジネスライフ、
また、自由に解放され自立するシニアライフに焦点を当てて解説している。
この二つは、サラリーマンの現役、定年後という断絶した二つのライフステージを、一見バラバラに取りあげているように見える。
現状は、その通りかも知れない。
しかし、これからの人生80年、健康でゆとりのあるシニアの時代には、この二つのステージは循環的なもの、あるいは融合したものへと変わって行くはずである。
これまでの日本のサラリーマンの人生は直線的で明快なものであった。
「学習 → 仕事 → 定年 →老後」
という単純な図式である。 これが、例えば
「学習 → 仕事 → 学習と、レジャー → 仕事 → 社会活動とレジャー」
といった循環的、あるいは複線的なものへと変わって行く。
そして、年を加えるにつれて自由な生活へと解放され、自分のやりたいことを実現するという、「自分」の時代がこれからのシニアには訪れるはずである。
仕事についていえば、自分が健康でありその意志がある限り続けることになる。
この時代には、55歳、60歳、65歳といった定年は、それぞれの人にとっては無意味なものとなる。
強いてあるとすれば、定年は自分の心とそのあり方にあるといえよう。
中高年サラリーマンにとって、現在のビジネス環境には、厳しいものがある。
しかし、現在の中高年層は、まだまだ恵まれた条件下にある。
人生80年、シニアライフを含めた視点で、これからの人生を見つめ直せば、厳しさを乗りこえ生きがいのある人生の展望が開けるはずである。
「余分な社員」はカットしたい会社の本音
大競争時代、会社には余分なサラリーを支払うユトリはない。
出来ることならば過剰となった社員はカットしたいが、それがなかなか出来ない。
これが高度成長期からバブル期を経て膨張に膨張を重ねた企業経営の最大のジレンマとなっている。
社員の需給バランスは崩れ社内失業は深刻になる
日本の人口構成は高齢化が急速に進んでいる。
かつてのピラミット型だった人口構成はビア樽型さらには筒型に変わり、21世紀には増大 する高齢人口を若年層などの生産年齢人口が支えきれなくなる‥。
これと同じことが会社ではとうに始まっている。
社員構成では中高年層はすでにふくれあがっている。
これが高度成長期であれば事業拡大・ポスト拡大・若年社員大量採用によりバランスをとることが出来た。
しかし、現在は企業リストラ時代、ポスト不足どころではなく、人件費が高く能力向上もあまり期待できない中高年層は余分な存在となりつつある。
。
社員の供給と需要のバランスは完全に崩れ社内失業者は急増、これらは必然的にリストラの対象となる。
情報化による組織破壊も中高年層排除に向かう
マルチメディアなど情報化の進展は企業組織にも革命をもたらすものである。
近未来の企業組織では現在人手によっている管理業務のほとんどは機械に置きかえることができる。
同時に業務の社外化は進み、かなり高度で専門的なものまでの外注(アウトソーシング)が行われるようになる。
未来企業に必要な人材とは、極端にいえば、経営トップと中核となるコア人材だけでよいことになる。
コア人材とは「ビジネスリーダー」「情報企画コーディネーター」「高度の専門技術者」などである。
これに将来のコア人材候補生が加わればよい。
日常業務は専門的なものについては外部企業のアウトソーシングネットワークへ。
単純業務については外注あるいはパートにより行う。
ここには従来の根回し調整型の年功の結果として管理職が入り込む余地はほとんどなくなる。
すでに、徹底したアウトソーシングで急成長を遂げている企業事例も出始めている。
例えば、リーズナーブル価格の料理提供で、たちまち100店を超える店舗展開に成功したイタリアレストランチェーンのサイゼリア。
その陰には「小さな本社」による間接費の徹底的削減がある。
同社の場合、経営管理のシステム化をトコトン追求。
人事に至るまでの多くの管理業務を外注している。
こうした急速な店舗展開も社長は数名しかいないという本社スタッフにより推進されたといわれている。
状況認識が甘い中高年サラリーマン
次に職種別に労働者の過不足をみると、現在最も過剰感の高いのは事務職・管理職、つまりホワイトカラー層である。
この傾向は92年度後半から始まり、94年度以降は過不足判断D.I.が20%前後と深刻なものとなっている。
(注)過不足判断D.I.=「不足」とする事業割合−「過剰とする企業の割合」
さらに問題なのは、こうした事実にもかかわらず、中高年管理職層の「今、自分が置かれている状況」についての認識の甘さである。
第一は貢献と報酬についての会社側と中高年社員の意識ギャップである。
中高年層のほとんどは自分の貢献に比べてそれだけ給与は受け取ってはいないと考えている。
これに対して会社側は給与に見合うだけの貢献をしていないと25〜35%の企業は考えている。
年齢が高くなればなるほどこの比率は高くなる。
、もちろんこれまで努力と功績を否定するものではないが、現在の企業には過去の栄光を人事評価に取り入れるだけのユトリはなくなっている。
第二はこのように過剰であり貢献は少ないと評価されているにも かわらず、ほとんどの中高年層は今の会社に少なくとも定年までは残りたいと考えていることである。
今は転職が当たり前の時代になったといわれているが、それは若年層のことである。
現在の人事システムのもとでは、自己都合の途中退職は退職金や年金のカットなど経済 ではきわめて不利な条件となっている。
したがって、中高年層の場合はよほど好条件の転職先が見つからない限り現在の会社に居続けるがよいことになる。
去るも地獄、残るも地獄ならば、今のところ少なくとも給料は保証されている現在の会社に踏みとどまろうというわけである。
中高年サラリーマンのこれからの生き方
大変な時代が始った。
給料はあがりそうにもない。
逆に新しい人事システムのもとでは減給になりかねない。
それどころか50歳まで今の会社に勤続できるかどうか、すでにリストラのための肩たたきが始っている。
当サイトは、人生80年時代を迎え、悲劇的にさえみえる中高年サラリーマンのこれからの生き方と生きがいについての提案である。
「定年」自体が日本的経営崩壊の渦の中で、今や形骸化している。
そして、多くの中高年サラリーマンは、リストラの脅威にさらされこれからのビジネスライフに深刻な不安を抱いている。
一方、「濡れ落ち葉」という言葉に象徴されるように、仕事一筋に生きてきたかつてのビジネス戦士たちは、これから始まる長い老後をどう過ごしたらいいかわからない。
中高年サラリーマン、つまり、日本経済高度成長の担い手達の多くは環境変化に対応できず、現在、不安と悩みでいっぱいの悲劇の主人公といった状況にある。
こうした大変な変化の時代に遭遇した中高年サラリーマンの課題に応えるためには、マーケッティング的視点からの分析と提案が有効であり、必要だ。
マーケッティング的視点からの分析と提案とは、次のようなことである。
- (1)これからの社会の基本潮流はどういう方向にあるか、社会構造はどう変わって行くか。 大局的視点に立った問題点の整理である。
- (2)こうした取り巻く環境の変化の中で中高年サラリーマン、高齢者の現状はどうであるか。 その特性、行動、志向等について具体的に把握し 客観的に分析する。
- (3)以上の分析をふまえて、これからどう生きるべきかの方向を提示する。
これからは多様化と個性化の時代。
これからのシニアの生き方の主要な方向をパターン化し、そのイメージを実例に基づいて示す。
- (4)そうした方向をどう実現するか。 実現のための手法、パワーを発揮すべき分野、情報などを具体的に提示する。
以上の視点に基づいて、2つのカテゴリーを用意している。
一つは、「中高年・シニアがビジネス社会で生き残る為には」。
サラリーマン社会崩壊という現実を明らかにし、この大変な時代をビジネスマンとしてどう生き抜くかの提案である。
そしてもう一つは、「中高年・シニアのこれからのライフスタイル」。
これからの中高年層の多くは、時間、健康、経済など生きる条件には恵まれている。
これまでの会社、仕事(労働)といった呪縛から解放されれば、ゆとりと拡がりのあるシニアライフが期待できる。
それをどう実現するかの提案である。
私が中高年サラリーマンに対して提言したいのは、変化に対応する「自己革新」と「自立」である。
言い直すと、ビジネスライフにおいては、「会社」を超えて仕事で「自立」できる自分を確立すること。
そして、シニアライフにおいては、「仕事(労働)」等の束縛から自分を解放し「自律」性のある生き方を確立することである。
つまり、会社人間である現在の中高年サラリーマンの方々に対して、「会社を超える」、「仕事を超える」という二度の脱皮を提起したいのである。
それが、出来れば、現在の大変な時代をのりこえて、それぞれの人にとっての「自分の時代」の実現が可能となる。
当サイトの内容は、主に現在のビジネスライフ、これからのシニアライフをどう前向きに積極的に生き抜くか、そして生きがいのあるこれからの人生をどう構築するかに主眼をおいている。
したがって、定年期を迎える中高年サラリーマンを対象とする方には、少し不備な点は多々あるものと思われる。
例えば、シニアライフにおける介護を含んだ健康問題、年金計算を含む老後の生活計画などは、あまり触れないでいる(今後はどうか分からない)。
次の機会を待ちたい。


