大変な時代、中高年サラリーマンに悲劇が訪れた
日本型経営は崩壊しつつある。
中高年サラリーマンは、従来からの予定通りのコースで定年まで会社に勤められる保証はなくなった。
また、経営システムの変革は、単なる調整役にすぎなかったホワイトカラー管理職の多くを、将来、不要なものにしてしまう。
一方、超高齢社会が現実のものとなり、やがて自分もその一員となる。
ところが、その時になろうとする今、定年まで勤められる保証はなく、退職金、年金も計算通りもらえるかどうか、老後の生活設計は大きく狂いそうだ。
加えて、介護問題、ポスト親孝行時代の今、子供に老後の面倒は期待できない。
会社に一旦勤めたら、墓場まで安定した生活が保障されると信じた「幸せの方程式」が、日本的経営と共に崩れようとしている。
中高年サラリーマンにとって、現在も将来も不安だらけという大変な時代が始まったのである。
これまで、会社一筋、仕事一筋に生きてきた結果の報いは何だったろうか。
空しさと無力感、中高年サラリーマンは悲劇の主人公のようにみえる。
当サイトも、この「大変な時代」が始まったという認識からスタートしている。
そして、こうした時代をいかに生き抜いたらいいかという切実なテーマに基づいて、次のような構成をとった。
一つはは、これまで会社一筋に生きてきた中高年社員のこれからはどうなるか、
自分のビジネスライフを全うするには、どう自分を革新し、どう行動したらいいかというテーマの追求である。
現役中高年サラリーマンが主対象となる。
二つ目は、人生80年時代、会社あるいはビジネス最前線を退いてもなお長い人生がある。
余暇下手ともいわれる現在の中高年サラリーマンは、どうしたら生きがいのある充実したシニアライフを送れるかというテーマの追求である。
現役・OBを含めた幅広いシニア層を対象としている。
確かにいえることは、取り巻く環境は、大きく変わろうとしている。
そして、その変革は中高年サラリーマンの多くには悲劇的なものとして受けとめられているのではなかろうか。
大変とは「大きな変革」、悲劇とはその変革に対応できない自分にある
大変という言葉、文字通りに解釈すれば、大きな変化、つまり大きな変革ということになる。
しかし、外部環境の変化はそれがいかに大きな変革であろうと一つの現象にすぎないものであり、それ自体が悲劇なのではない。
問題は、その変化を予見できず、変化に対応して行動がとれない自分にあり、それが悲劇なのである。
考えて見れば、戦後日本の経済成長、55年体制、それに基いて、会社に勤めると老後までの生活が保証されるという雇用制度は、長い歴史と地球規模の視点からみれば、束の間の恵まれすぎた現象ともいえる。
その「束の間の幸せの方程式」を永続する当然の権利だとかたくなに信じ、さらにはその既得権利にしがみつこうとしている。
しかし、これからの時代環境はそれを許さなくなる。
老後の問題にしても同様である。
高齢化社会の到来は当然わかっているが、自分にその時が迫るまで真剣に考える人は少ない。
いざ、その時になってみたら、日本的雇用制度は崩れ定年まで会社にいられるかどうかわからない、退職金、年金も含めた老後の経済生活の計画も大きく狂いそうだ。
さらには、会社を離れた後の余暇時代をどう上手に過ごすか、新しい人間関係をどう築いたらいいかがわからない。
こうした中高年会社人間の悲劇的状況をつくりだしたのは、せんじつめれば、「会社」、「仕事」という世界へ安住しすぎていたことにあるといえる。
その中に居れば、多少気を遣うことがあっても、安定した少なくとも人並みの生活は送ることができた。
外に出ろといわれてもその自信もないし、外に出ることはこれまで一生懸命積み上げてきたいろいろな権利を捨てることにもなる。
会社のため、仕事のためといっては、家庭のこと、仕事以外のわずらわしいことにかかわれないことの言い訳も出来る。
皮肉な見方をすれば、多くの中高年サラリーマンにとって、会社と仕事とは甘えと逃避の場でもあり、それによる束縛と引き替えに自分の幸せを自分の責任ではなく会社に委せきって安心しておられるという心地よいものであったのだ。
このサラリーマン安住の基盤が、今崩れようとしている。
会社を超える、仕事を超える
これまでは、経済が成長する、会社もそれにつれて発展し永続する。
黙っていても、その中に入っていれば幸せは訪れた。
他力本願の幸せである。
しかし、その基盤の崩れた今、「勤め人」サラリーマンにも求められているのは、「自立」である。
このサラリーマン自立のためには、こえなければならない二つのハードルがある。
第一は、ビジネスライフにおける「自立」である。
そのためには、「会社を超える」ことが必要である。
会社を超えるということは、会社をやめろという意味ではない。
これからの企業社会は、会社中心からビジネス中心に変わる。
年功はもう関係なく、ビジネス能力と企業に対する貢献に基づいたシビアな評価・待遇となる。
加えて、情報化の急速な進展に伴い企業の求める社員像も変わり、人材の流動化も進む。
極言すれば、会社にぶら下がって生きてきた中高年サラリーマン、特に年功のほかには取柄のない管理職の多くが不要となる時代が必ずやって来る。
したがって、中高年サラリーマンに今求められるのは、ビジネス環境の変化に対応する能力開発であり行動革新である。
それによって、現在の会社だけでなく、外に出ても通用する能力と行動力、即ち、今の「会社」をやめても自立できるくらいの自分を確立することである。
現在の中高年サラリーマンが、ビジネスライフを全うするためには、新しく生まれ変わるくらいの決意での自己革新が必要といえよう。
第二は、シニアライフにおける「自律」である。
仕事中心で生きてきた中高年会社人間には、乗りこえなければならない「仕事」(労働)というハードルがある。
この仕事には二つの種類がある。
一つは、会社等に束縛されて仕事をするレーバー(労働)であり、もう一つは自らの意志で選択するワーク(自分本来の仕事)である。
当然、ビジネスライフにおいてもワークへの脱皮は望まれる方向であるが、家計維持等の束縛から解放されるシニアライフにおいて、より現実的なものとなる。
かくして、会社から解放され、労働からも解放されるシニアライフにおいて、われわれは余暇という自分の自由になる、つまり「自律」できる時間を豊富に持つことになる。
加えて、これからのシニアの多くは健康であり、カゲリが出てきたとはいえ30代、20代の若い世代に比べると経済的にも恵まれている。
こうした恵まれた条件下で、自分のやりたい仕事(ワーク)、社会活動、学習・研究活動、レジャー、スポーツなど多彩で生きがいのあるシニアライフを送ることができる。
ただ、現在の中高年会社人間は、会社中心、仕事中心思考で自分で自分を束縛しており、なかなか自分を余暇生活へと解放せず、その準備をしていない。
いかに早くこの呪縛を解き素直に余暇社会に参加するかが課題といえよう。
「定年」のない時代が始まっている
当サイトでは、自立を求めて厳しく生きなければならないビジネスライフ、
また、自由に解放され自立するシニアライフに焦点を当てて解説している。
この二つは、サラリーマンの現役、定年後という断絶した二つのライフステージを、一見バラバラに取りあげているように見える。
現状は、その通りかも知れない。
しかし、これからの人生80年、健康でゆとりのあるシニアの時代には、この二つのステージは循環的なもの、あるいは融合したものへと変わって行くはずである。
これまでの日本のサラリーマンの人生は直線的で明快なものであった。
「学習 → 仕事 → 定年 →老後」
という単純な図式である。 これが、例えば
「学習 → 仕事 → 学習と、レジャー → 仕事 → 社会活動とレジャー」
といった循環的、あるいは複線的なものへと変わって行く。
そして、年を加えるにつれて自由な生活へと解放され、自分のやりたいことを実現するという、「自分」の時代がこれからのシニアには訪れるはずである。
仕事についていえば、自分が健康でありその意志がある限り続けることになる。
この時代には、55歳、60歳、65歳といった定年は、それぞれの人にとっては無意味なものとなる。
強いてあるとすれば、定年は自分の心とそのあり方にあるといえよう。
中高年サラリーマンにとって、現在のビジネス環境には、厳しいものがある。
しかし、現在の中高年層は、まだまだ恵まれた条件下にある。
人生80年、シニアライフを含めた視点で、これからの人生を見つめ直せば、厳しさを乗りこえ生きがいのある人生の展望が開けるはずである。
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